近況です・・・
状況が大きく動いておりまして、本体部分が下の方にドンドン追いやられる格好になっています。本体は --> こちら です。
その本体部分は初版から変わっていませんが、先頭に追加される部分が大きくなり、相対的に埋もれたようになりつつあります。
(2010年7月8日)
事情ははっきりしませんが、防衛省の公式サイトからファイルが消えました。(2014.7.7午後ごろ)
「憲法と自衛権(25020102.pdf)」というファイルです。
閣議決定で憲法違反にあたる解釈改憲が発表された2014.7.1から7日目で消えたことになります。
ささやかな抵抗をしていたのでしょか?
■ 防衛省・自衛隊:憲法と自衛権 --> こちら
どこをどう解釈しようとも、「憲法違反」にあたるのが免れないのですから、
防衛省がどうしても改訂するというなら、
既存の内容はそのまま残し、改訂の内容とその経緯を明示するのが国民に対する誠意であると考えます。(管理人)
(2010年7月3日)
閣議決定のあと、記者会見が行われました。
その内容があんまりでしたので、批判がてら独断と偏見でもって、安倍首相の発言をフォーカスしてみます。
第一弾として2つの発言を取り上げてみます。 --> ブログ
(2010年6月30日)
あす7月1日、いよいよ閣議決定。
先のエントリーに続いて「想定問答集」をもう少し詳しく取り上げました。--> ブログ
安倍さんの本音、そのものが書かれています。
それを成し遂げることが安倍さんの悲願。その為にはあらゆる手段を繰り出してくることが想定されます。
(2010年6月28日)
想定問答集がでてきました。
閣議決定案がそもそも毛針だったことが露呈してしまいました。安倍政権がホントにやろうとしていたことが問答集にあります。 さて、どうするか?
閣議決定案と想定問答の対比--> ブログ
クリックで原寸大
(2010年6月23日)
自民党が今になって「集団安全保障」を持ち出してきました。
先月15日、安保法制懇の提言を受け、安倍首相は政府として(報告書の)考え方「集団安全保障行使可能にすべき」は採用できないとキッパリ明言しました。
それなのに、ほどなくして機雷掃海を言い出し、一ヶ月もすると「集団安全保障での武力行使も可能にする!」と言い出してきました。
前言を翻すことになんの躊躇もないようです。その論拠は
--> 【集団安全保障】石破茂幹事長の巧みな話術 〜誠実とはいえない、その中身を検証してみる
となると、安倍さんが口癖のように「断じて・・ない」というような口先から発せられる言葉は
どれも信用ならないということになります。
「限定的に歯止めを掛ける」という話もまったくあてにならないということです。
公明党執行部の姿勢は「合意を目指す」で変わっていませんが、
6月21、22日の共同通信世論調査では公明党支持層の70%が集団的自衛権行使反対だとわかり、
このまま公明党執行部が支持層を無視して強行したら次回選挙で落選の憂き目に遭うことを理解しているのだろうかと老婆心ながら気になります。
同様に、学会票が頼りだった自民党の多くが落選かボーダーライン上を彷徨うことになるのですが、そこまで計算してのことだろうか。
(2010年6月18日)
集団的自衛権 閣議決定案の全文がでてきました。
予想通りの内容です。
よくわかってない国民をなんとか騙そうと作文した苦心の跡がみえます。
詳しくはブログにアップしました。
■ 集団的自衛権 閣議決定案の全文 〜6文字さえゲットできればあとはどうにでもなる --> こちら
閣議決定案の全文は長いのでこれより上の部分は省略していますが、どうでもいい部分なのでどうでもいいです。
以下の最後尾がこの全文での核心部分です。
クリックで原寸大
(2010年6月13日)
「アメリカが創価学会をカルト認定するぞ!」と半ば脅された格好・・・
安倍側近謀略グループが仕掛ける錯乱戦術が効奏したようにみえ、公明党が「合意を目指す」と、方針転換をしてきたようです。
集団的自衛権「武力行使の3要件」提示
クリック ↓ でYoutubeを開く
飯島勲参与による「政教一致」発言をわざわざアメリカでやってみせたり、
極めつけは「カルト認定するぞ!」とブラフをかけることで公明党幹部が震え上がり、すっかりおとなしくなったようです。
もともと山口那津男代表は反対派ですが、太田昭宏国交大臣は安倍寄り。協議担当の北側一雄副代表もにじり寄っている風情。
この情勢でいけば閣議決定の関門だった太田大臣のサインはあっさりクリアされてしまうのではないかという悪寒・・・。
いまや閣議決定を阻止できる唯一の手段が太田大臣がサインを拒否することだけ。
それに対抗すべく、太田大臣の首を切って安倍首相が兼任し、閣議決定を強行できますが、
そうなれば公明党と激突することになります。
「平和の党」掲げる公明党が脅しに屈してまで党を残したいのか、
それとも覚悟を決め、毅然と暴走機関車に立ち向かい、暴走を止めるのか。
その瀬戸際の中で最後のキーマンが最大パワーを誇る学会婦人部、 彼女らがどう動くか?
一寸先は闇、まだまだどうなるかわかりません。
(2010年6月11日)
10日、安倍首相が今国会での決着を指示しました。
高村副総裁は、創価学会の票を失ったら同僚議員の多くが落選またはボーダーラインを彷徨うことを キチンと理解しているので、
学会を敵に回すこと、すなわち「激突」だけは避けたいと本音を覗かせた苦渋の会見でした。
が、そんなことに意を介さない総大将。
己の野望を実現することに取り憑かれ、構わず「ヤレっ!」と強行するか?
残りの協議はあと3回。これから10日間が最大の山場になります。
ご注目下さい。
クリックで原寸大 5月15日
安倍首相「スケジュールは時期ありきではない」
激突に怯える高村副総裁
ヤレっ!と、安倍総理
2分でわかる!集団的自衛権「ほぼAtoZ」 (「明日の自由を守る若手弁護士の会」作成 公式サイト
クリック ↓ でYoutubeを開く
2分でわかる!集団的自衛権「ほぼAtoZ」.mp4「集団的自衛権」...最近よく耳にしませんか。
政権発足以来、安倍首相は「集団的自衛権の行使容認」への執念を隠さず、日に日に実現-への歩みを加速させています。
これを、この通常国会中に成し遂げるのが、政権の描く理想図のようです。
「集団的自衛権を使えるように、解釈改憲する」とは、つまりこういうことです。
「憲法の読み方を変えます。戦後ずっと、日本は憲法9条がある以上、集団的自衛権を行-使することは許されない、と考えてきましたが、それは間違いということにします。今日-からは、憲法9条のもとでも、日本は集団的自衛権を行使して、戦争できるということに-します。」
集団的自衛権って...よく分からないけど、
仲間を助けるってこと?
憲法の読み方を変える...それって憲法改正とは違うの?
っていうか、そういう「読み方変える」ってアリなの?
私たち国民の意見は聞かずにやれるものなの?
いろいろな「?」が思い浮かびませんか?
続きは--> こちら
(2014年2月27日)
公明党が「ぬぬっ?」というような態度を示してきました。
もともと「平和の党」を掲げ、
集団的自衛権行使にはずっと「反対」とゆってきたのに、蜜の味に負けたかのようなこの頃でした。
が、信濃町の突き上げがあったのか?
自民党に対してあえて抵抗を示しているように見えます。
どのくらい覚悟があるかは定かでありませんが、
放り出されることも厭わぬという合意ができのか?
この先、波乱がありそうです。--> こちら報道のページ「集団的自衛権」
(2014年2月21日)
手を変え品を変えてきました。
集団的自衛権行使を縛るべく5つの要件を提示、これでなんとか批判を和らげようという作戦のようです。
まず「集団的自衛権」6文字がそんなに危なくないモノだと思わせ、「行使ができるんだ」だけを先に通そうとしているようです。
批判が強まっている根拠法「国家安全保障基本法」をいきなり提出ではマズイと感じたようで作戦変更の構えです。(管理人)
■ 国会議論なしで決定するってどうゆうことよ 〜憲法を解釈で変更、集団的自衛権行使 --> こちら
(2014年2月20日)
手の内を少し見せてきました。
心配していたとおり、国民が知らない間に閣議決定して、その後で国会に提出すると安倍首相が答弁しました。
国民にはいきなり見せ、例の如く、猛ダッシュで強行採決してしまうのでしょうか。
具体的な根拠法「国家安全保障基本法」など中身はいまだ隠したままです。--> こちら (管理人)
(2014年.2月18日)
次の報道(2014.2.13)にあるように、
安倍首相らが主張する「集団的自衛権の行使をできるようにするんだ」という動きが一段と加速してきました。
すでに佳境にさしかかったのではないかと危惧しております。
いつ閣議決定され、その法案が国会に提出されても不思議ない状況だとみています。
ところが、そんな重大な法案にもかかわらず、その実体について安倍首相も石破幹事長も積極的に語ってこられませんでした。
「法を改正・・・」などと口を濁されてきました。
実はすでにその法案、
すなわち集団的自衛権行使の根拠となる法案の概要は準備され、公開されています。
「国家安全保障基本法(概要)」です。
国民の関心が集まらないようにできるだけ伏せておこう・・・ということでしょうか。
思惑が透けて見えます。
改めてここでもご紹介します。 (管理人)
■ これが集団的自衛権行使の根拠となる法案です。国家安全保障基本法案 (概要)自民党 憲法違反 --> こちら
【 ご挨拶 】首相、立憲主義を否定 解釈改憲「最高責任者は私」
このページが、
なんのご案内もなしに消滅したときには、
「言論封鎖・逮捕」など弾圧があったと、ご理解ください。
このページの趣旨は、
集団的自衛権の本質を探している皆さんのお役に立つかもしれないということで、ページをアップしています。
実は、 私の脳みそでは何十年に渡ってホントの意味がわかりませんでした。
どんだけ国会答弁を聴いても、解説記事を読んでも、
確かに日本語として理路整然としていて、矛盾もなくなにも問題もないのですが、
それは単に文字の羅列に過ぎず、ホントはこうなんだということが何一つ伝わってきませんでした。
ホントの意味が理解できませんでした。
なにかが隠れているだろうことを感じつつ、時間だけが過ぎていきました。
それに気付かせてくれたのが、石破茂防衛庁長官(当時)でした。
テレビの一コマでした。
すべてが氷塊しました。
あれから(初版)10年半が経ちました。(2014年2月12日 管理人)
解釈改憲「私が最高責任者」ここから下が本体です。
首相、立憲主義を否定
2014年2月13日 朝刊
安倍晋三首相は十二日の衆院予算委員会で、集団的自衛権の行使を認める憲法解釈の変更をめぐり「(政府の)最高責任者は私だ。政府の答弁に私が責任を持って、その上で選挙で審判を受ける」と述べた。憲法解釈に関する政府見解は整合性が求められ、歴代内閣は内閣法制局の議論の積み重ねを尊重してきた。首相の発言は、それを覆して自ら解釈改憲を進める考えを示したものだ。首相主導で解釈改憲に踏み切れば、国民の自由や権利を守るため、政府を縛る憲法の立憲主義の否定になる。
首相は集団的自衛権の行使容認に向けて検討を進めている政府の有識者会議について、「(内閣法制局の議論の)積み上げのままで行くなら、そもそも会議を作る必要はない」と指摘した。
政府はこれまで、集団的自衛権の行使について、戦争放棄と戦力の不保持を定めた憲法九条から「許容された必要最小限の範囲を超える」と解釈し、一貫して禁じてきた。
解釈改憲による行使容認に前向きとされる小松一郎内閣法制局長官も、昨年の臨時国会では「当否は個別的、具体的に検討されるべきもので、一概に答えるのは困難」と明言を避けていた。
今年から検査入院している小松氏の事務代理を務める横畠裕介内閣法制次長も六日の参院予算委員会では「憲法で許されるとする根拠が見いだしがたく、政府は行使は憲法上許されないと解してきた」と従来の政府見解を説明した。
ただ、この日は憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認めることは可能との考えを示した。横畠氏は一般論として「従前の解釈を変更することが至当だとの結論が得られた場合には、変更することがおよそ許されないというものではない」と説明。「一般論というのは事項を限定していない。集団的自衛権の問題も一般論の射程内だ」と踏み込んだ。
元内閣法制局長官の阪田雅裕弁護士は、首相の発言に「選挙で審判を受ければいいというのは、憲法を普通の政策と同じようにとらえている。憲法は国家権力を縛るものだという『立憲主義』の考え方が分かっていない」と批判した。
横畠氏の答弁にも「憲法九条から集団的自衛権を行使できると論理的には導けず、憲法解釈は変えられないというのが政府のスタンスだ。(従来の見解と)整合性がない」と指摘した。
<立憲主義> 国家の役割は個人の権利や自由の保障にあると定義した上で、憲法によって国家権力の行動を厳格に制約するという考え。日本国憲法の基本原理と位置付けられている。
「国民なんて、どうせわかんないんだから」 「気づく前に法律を通しちゃえ」 「作っちゃえばこっちのものだ」 「あとは法律の主旨から少々ずれていようが適当な屁理屈をこしらえば実行できるから・・・」 「いつもの手法でこの件もやっつけようぜ!・・・」 |
隣にすわっていた石原伸晃(大臣)と石破氏が仲良しという設定で、 石原氏が誰かに殴られた場面を想定して、説明が始まった。 石破:『もし石原さんが誰かに殴られて、それを私が隣で見ていて、警察が来るまでなにもしないでいいのか? 「なにもできないでごめんね」、と言ってていいのか?』 |
と説明していました。
実はここに重大な騙しのトリックがある
簡単にいえば「都合の悪いことは言わない」、「説明もしない」、「国民には賢くなってもらっては困る」、
「
国民はどうせわからないのだから適当にゆっておけばいい・・・」、という不見識な心理がそうさせているのでしょう。
石破氏は目の前の友人が殴られていることしか説明しなかった
「 集団的自衛権 」の本質というのは目の前の友達が殴られたときにどうこうするという話ではありません。
遠くの友人宅に賊が押し入り、友人を殴ったときの反撃もしくは攻撃のために、
自分の仲間を集めて、殴った奴をみんなで つるんでやっつけに行けるんだ ということです。
しかし石破氏はこのことは一切説明しませんでした。
なんども『目の前にいる友人が殴られたとき、ただ見ていいですか?・・・』を繰り返すだけでした。
さも、これが集団的自衛権であるかのように・・・。
いつもの石破流でほほを赤らめてやっていました。
国民への刷り込みに成功すれば、後はなんとかなる
「目の前の友人の出来事 イコール 集団的自衛権」だと、国民に思い込ませてしまえば、しめたモノです。
目の前の人を助けるのは当然ですから、これを否定する国民はいないでしょうから。
意味なんかどうでもいいのです。
とにかく「集団的自衛権」という6文字だけを違和感のないものにさえしてしまえば、あとになって「友人がなぐられたのだから遠くだろうが目の前だろうが助けにいくのは当然じゃないんですか?どこがおかしいんですか?」と開き直るのは目に見えています。
こうなれば無茶苦茶です。
そのときになって、事の本質に気がついても後の祭です。
実に計算された、ずるいやり方です。
あとで、追求されても逃げられるやりかたです。
くどいようですが、とにかく、石破氏は目の前で起きていることしか話さないのです。
しかし、そんな話をしていても彼の頭には遠くの友人宅で起きたことが浮かんでいたはずです。
それを意識しているので、
「遠くの友人宅の出来事でも適用できるんだよ、な」と国民が勝手に連想してくれたら手間も省けてありがたい・・・
というような、実に巧妙なしゃべり方でした。
「友人の石原大臣宅に誰かが押し入り、なぐったことを聞いて、
石破氏とその仲間たちが、殴った相手の家まで出かけて行って、つるんで殴り返すことができる」
これが集団的自衛権の本質です。
しかし、これをそのまま露骨にしゃべったら、いくらなんでも国民は拒否するだろうから、
まずは国民に受け入れられる「目の前の友人が殴られる例」を出しておいて、
そのあとになってから
「友人が殴られたんだから遠いとか近いなんて関係ないでしょう、違いますか!?」
と、すり替えてくるだろうというのがミエミエでした。
ミサイルをぶち込まれても、どこにも、誰にも文句を言えません。 それで家族がその犠牲になっても、家が吹っ飛んでも、国の補償なんかありません。 国は、「みなさんが集団的自衛権にOKしたんでしょう!」と一言いっておしまいです。 |
国民を黙らせてから戦争へ突入していく・・・。
この常套手段はアメリカでも使われ、戦前の日本がまさにそのものでした。
治安維持法、軍機保護法、国家総動員法などによって民主主義が撲殺され、一般国民が弾圧されました。
この理解を踏まえ、「このニッポンがこれからどうなっているのか?」ということについて、
ウォッチしていく必要があります。
アメリカで取材しているジャーナリスト堤未果さんが警告しています。
いま、最も危険な法案とは?
2013/4/18(木) 午前 8:58
先週の週刊現代連載記事です。
昨夜のJーWAVE JAM THE WORLD でもインタビューコーナーで取り上げました。
この法律が通ったら、ブログやツイッターでの情報発信、取材の自由など様々な規制がかかるでしょう。
アメリカでも、大手マスコミが出さない情報を発信する独立ジャーナリストは真っ先にターゲットにされました。
そして「原発情報」はまず間違いなく「軍事機密」のカテゴリーでしょう。
「アメリカ発<平成の治安維持法>がやってくる!」
ジャーナリスト 堤 未果
3月31日、安倍総理は今秋国会での「秘密保全法」提出を発表した。
日弁連などが警鐘を鳴らし続けるこの法案、一体どれだけの国民がその内容を知っているだろうか?
01年の同時多発テロ。あの直後にアメリカ議会でスピード可決した「愛国者法」がもたらしたものを、今ほど検証すべき時はないだろう。
あのとき、恐怖で思考停止状態の国民に向かって、ブッシュ元大統領はこう力説した。
「今後、この国の最優先事項は治安と国会機密漏えい防止だ。テロリスト予備軍を見つけ出すために、政府は責任を持って全米を隅々まで監視する」
かくして政府は大統領の言葉を忠実に実行し、国内で交わされる全通信に対し、当局による盗聴が開始された。それまで政府機関ごとに分散されていた国民の個人情報はまたたく間に一元化され、約5億6千万件のデーターベースを50の政府機関が共有。通信業者や金融機関は顧客情報や通信内容を、図書館や書店は貸し出し記録や顧客の購買歴を、医師達は患者のカルテを、政府の要請で提出することが義務づけられた。
デンバー在住の新聞記者サンドラ・フィッシュはこの動きをこう語る。
「米国世論は、それまで政府による個人情報一元化に反対でした。憲法上の言論の自由を侵害する、情報統制につながりかねないからです。でもあのときはテロリストから治安や国家機密を守るほうが優先された。愛国者法もほとんどの国民が知らぬ間に通過していました」
だが間もなくしてその"標的"は、一般市民になってゆく。
ペンシルバニア州ピッツバーグで開催されたG20首脳会議のデモに参加したマシュー・ロペスは、武器を持った大勢の警察によって、あっという間に包囲された経験を語る。
「彼らは明らかに僕達を待っていた。4千人の警察と、沿岸警備隊ら2千5百人が、事前に許可を取ったデモ参加者に催涙弾や音響手りゅう弾を使用し、200人を逮捕したのです」
理由は「公共の秩序を乱した罪」。
その後、ACLU(米国自由市民連合)により、警察のテロ容疑者リストに「反増税」「違憲政策反対」運動等に参加する学生たちをはじめ、30以上の市民団体名が載っていたことが暴露されている。
政府による「国家機密」の定義は、報道の自由にも大きく影響を与えた。
愛国者法の通過以降、米国内のジャーナリスト逮捕者数は過去最大となり、オバマ政権下では七万以上のブログが政府によって閉鎖されている。
為政者にとってファシズムは効率がいい。ジャーナリストの発言が制限され国民が委縮する中、政府は通常なら世論の反発を受ける規制緩和や企業寄り政策を、次々に進めていった。
ブッシュ政権下に時限立法として成立した「愛国者法」は、06年にオバマ大統領が恒久化。
その後も「機密」の解釈は、年々拡大を続けている。
日本の「秘密保全法」も、日米軍一体化を進めたい米国からの〈機密情報保護立法化〉要請が発端だ。その後、07年に締結した日米軍事情報包括保護協定を受け、米国から改めて軍事秘密保護法の早期整備要求がきた。
だが米国の例を見る限り、軍事機密漏えい防止と情報統制の線引きは慎重に議論されるべきだろう。なし崩しに導入すれば〈愛国者法〉と同様、監視社会化が加速するリスクがある。
震災直後、テレビ報道に違和感を感じた人々は、必死にネットなどから情報収集した。 だがもし原発や放射能関連の情報が国民の不安をあおり、公共の安全や秩序を乱すとして〈機密〉扱いにされれば、情報の入手行為自体が処罰対象になるだろう。
公務員や研究者・技術者や労働者などが〈機密〉を知らせれば懲役十年の刑、取材した記者も処罰対象になる。国民は「適正評価制度」により「機密」を扱える国民と扱わせない国民に二分されるのだ。
行き過ぎた監視と情報隠ぺいには私達も又苦い過去を持ち、国民が情報に対する主権を手放す事の意味を知っている。歴史を振り返れば〈言論の自由〉はいつも、それが最も必要な時に抑えこまれてきたからだ。
(週刊現代:4月14日連載「ジャーナリストの目」掲載記事)