念願のAngkor Watを見てきた。一昨日Bangkok港からCambodiaに飛んで見学し、昨日帰船した。酷暑の中で石造の急階段を上り下りする耐久力テストのような一日だったから、非常に疲れたが、さすが世界遺産に指定されただけのことはあって見ごたえがあった。 Angkor Watだけでなく古都Angkor全体が世界遺産で、その中には多くの遺跡があることも今回初めて知った。崩れかかった石造建築は先史時代を思わせるが、12-13cに造営されたものだという。源頼朝の頃だ。
AngkorはKhmer王国の首都であった。Angkorとは「都城」の意味だという。西洋の"Burg"のようなものか。Cambodiaには中央に盆地があり、Tonle Sap湖がある。その北辺に灌漑・防備・美観を兼ねた巨大な四角の堀(環壕)が築かれ、その中に都が造営された。この王国が栄えたAngkor王朝時代は9-15cで、最盛期には雲南省南部、タイ北東部、Vietnam南部、Bengal湾まで支配した一大帝国があった訳だ。恐らくは豊かな水で米の生産が盛んだったことが繁栄の源だったのではなかろうか。Vietnamが中国に10cまで併合されていて中国と中国文化の影響下にあったのに対して、Khmer王国はインドの影響下にあり、ヒンズー教と仏教がごちゃまぜにAngkor遺跡に反映している。
Angkor王朝は1432年にタイのAyutthaya王朝に攻め滅ぼされ、南に逃れた。山田長政がAyuthaya朝に仕えた200年も前のことだ。16cの文献ではAngkor遺跡は既にジャングルに埋まっていたそうだ。
Angkor Watは、1113-1150に在位したSuryavarman IIによってヒンズー寺院として建設され、幅190mの堀が1.3km x 1.5kmの長方形に作られている。その内側に25kmほど離れた山で産する砂岩をブロック状に切り出して積み重ね、彫刻を施して城壁のような塀を作っている。その内側にはまた内堀があり、中央に巨大な石造寺院が構築されている。寺院の一番外側に四角な第一回廊を巡らせ、その内側の一段高い位置に第二回廊がある。その内側は平らなプラットフォームになっており、その中央に天守閣のような塔がある。天守閣最上部の最も神聖な場所には一辺60mほどの第三回廊がある。第三回廊の四隅と、中央に最大の五つの塔堂があって、第二回廊四隅の塔堂と合わせてこれが遠くから見た場合の美しいスカイランをなしている。重悳の悪い癖で、城壁をよじ登るような長い急階段でスミヱをこの第三回廊まで上らせた。Angkor Watに元々あったはずの神像の多くは持ち去られてしまったが、持ち出せない石壁のレリーフが美しかった。Ramayanaの物語を第一回廊のレリーフで見た。
Angkor Tomという遺跡を初めて知った。大きい(Tom)都城(Angkor)という意味だそうだ。Angkor王朝最盛期のJayavaman VII によって1200年頃建設された。Angkor Watと似た構造だが、スケールが更に大きく、4mの高さの城壁を3km四方に巡らせている。12万人がこの城壁の中で暮らしたと推定されている。大蛇を抱えた巨人群の彫刻で飾られた橋を渡って城門を入る。中には幾つか寺院の遺跡があるが、中央に位置する最大の寺院がBayon Templeだ。これは仏教寺院だとされる。特徴は塔堂の四面に人面があることだ。元々194面(4で割り切れないなあ)あったものが、今は117面残っているそうだ。複数の石材を組み合わせて構成した人面はインドネシアかと思っていたが、ここにもあった。近くのお土産物屋で凸型の木彫りで人面3面(正確には1面と半面2つ)を彫った塔堂の模型を買った。
Ta Prohmという寺院の遺跡も見学した。ここの特徴は、Angkor WatもAngkor TomもかってはそうだったそうだがSilk-Cotton TreeというBanyan系の巨木が石造建築に覆いかぶさっている姿がここではまだ残っていることだ。樹齢数百年の巨木の根が石組みの間に入り込んで石組みを崩してしまっている場所もあり、逆に石組みを覆って保護している場所もある。直径2-3米もある巨木が石組みの上に立ち上がり、直径20-80cmもある根が石組みの間や上を這い回っている姿に木の生命力を感じた。
疲れたが充実した一日だった。ただ富士山と同様、一度も行かぬ馬鹿、二度行く馬鹿かも知れない。 以上