Republic of Namibiaという国に私は興味が無かったし、船が2つの港に寄港してもあまり好印象を持たなかった。しかし船がNamibiaを離れてから思い出して見ると、特異な面白い国と気付き、改めて勉強してみた。
まずNamibiaは日本の総面積の2倍強の四角い平らな国で、南アフリカ共和国(南阿)の北、大西洋岸にある。ほとんど砂漠で何も無い。僅か1.7Mの人口の6%が旧宗主国ドイツおよび南阿の白人、7%が混血、87%が黒人で、黒人の半分はHottentot系、一部Bushman系である。公用語は英語だが南阿のAfrikaan語が広く使われ、一部ではドイツ語も健在だ。
南半球では黒潮とは逆に反時計回りの海流が流れる。だからアフリカ東岸では、赤道で温められた海流が水蒸気を吐き出し山に当たって雨になる。ところが西海岸では南極海からの冷たい海流が押し寄せる。おかげで南緯17-29度だが夏も過ごしやすい。海水温が低いため水蒸気が少なく、山がほとんど無いので雨が滅多に降らない。そのため全土特に海岸沿いはカラカラに乾燥した砂漠で、風が強いから砂丘が発達している。Arizonaの砂漠だって雨は降るから植物は辛うじて生えているが、ここの砂漠は砂だけで植物は希だ。特に最初の寄港地Luderitzでは、沖合いに常に寒流に冷やされた高気圧があり陸地に年中強烈な風が吹き砂を飛ばしていた。
初めて見た砂丘に二つ登って見たが、サラサラの砂だから水前寺清子の歌じゃないが一歩上って半歩ずれ落ちるから楽じゃなかった。砂丘の麓で駱駝にも初めて乗った。乗り降りする時に前足を折って後足で立つ姿勢を経るから45度の背中から前につんのめらないように掴まる。象も右左に揺れて乗り心地の悪いものだが、駱駝はその上をいく。「月の砂漠を駱駝に乗って砂丘を越えて行ったお姫様」はさぞかし大変だったと思う。
そういう砂漠の中に「生きた化石」の植物、通称Tumboaまたは学名Welwischia mirabilisを見た。直径30cm高さ20cmほどの円柱形の「幹」があり、それから直接2枚だけの葉が出ているというのだが、風で裂けて十数枚に見えた。それが砂の上を直径2mにわたって這っている不思議な植物だ。4つの個体を見たが、その一つは1500歳と推定されているという。長命なだけでなく植物の進化の源に位置づけられるから生きた化石なのだそうだ。雨は降らないが寒流から来る霧を葉と気根から吸収する。
Namibiaのもう一つの特徴は溶岩だ。プレートの裂け目から溶岩が噴出してアフリカ大陸と南アフリカ大陸が押し分けられた時のCambrian紀の溶岩がここでは地表に露出している。だから火山も火口も無いのに平面的に広大な範囲に溶岩が広がっている。溶岩が露出しているくらいだから、マグマの中の炭素が結晶したダイヤモンドも砂に混じって地表に転がっている。Luderitzの奥でそういうダイヤモンドをドイツ人が採取したゴーストタウンを見学した。今はその続きの南側が世界的なダイヤモンド会社De Beers社の敷地になっていて、今でも採取されている。同社はここを買い取って生産調整のバッファとして運用し、そのよろしきを得て世界一にのし上がった。表面が曇りガラスのようにくすんだ透明らしい石をスミヱが砂漠の中で見つけたが、ガイドによれば心無い旅行者が捨てたガラス瓶の破片が砂を含んだ風に打たれるとこうなるのだと。ダイヤモンドに限らず鉱物一般が豊富にあり、特に孔雀石・虎目石は安価に入手できた。
Cape Townを植民地としていた英国は、余りにも荒涼としたこの地に手を出さなかった。国外に出遅れたドイツがここを植民地とし、鉱山を開いたが、原住民の反抗に手を焼いた。ドイツが第一次世界大戦で負けて南阿(間接的に英国)の委任統治領となった。我々の第2の寄港地Walvis Bayだけは英国が南阿の一部として領有した。第二次世界大戦後国連は南阿に信託統治領への移行を働きかけたが南阿はこれを拒否し、南阿への併合を図った。しかし国際世論はこれを許さず、特に南阿の人種政策が不評となってからは南阿への風当たりが強く、国連の支援のもとでついに1990年にNamibia共和国として独立し英連邦に所属した。南阿Mandela大統領の大英断でWalvis Bayも1994年にNamibiaに所属することになった。
住みたくはないが、変わった面白い国だ。 以上