うつせみ 
2002年 5月 4日
           十年早かったかな

 明日船は米国Florida州Ft. Lauderdale港に到着する。2月28日に東京港を発って67日間の船旅を終え、FloridaとHawaiiで少し時間を過ごしつつ5月12日成田着で74日間の世界一周を終わる予定だ。この旅は(1)ワイフへの感謝の旅であり、(2)重悳の座標軸確定の旅だと宣言して旅立った。第一目的は十二分に達成された。第二目的に関しては、自分をじっくり見つめ直そうと禅寺にこもるのに似た考えがあったが、これは見事に外れた。面白くて忙しくて禅寺とは程遠かったからだ。しかしこういう楽しみ方は十年早かったかなという思いが残った。楽しかったから後悔ではないが、「知らざりき」という無知への反省はある。

 第一目的から行こう。主婦にとって2ヵ月半も家事から解放されるということは大変な待遇であるらしい。料理を忘れたと冗談を言い、時折の洗濯がむしろ楽しいようにすら見えた。代わって社交が主な仕事になった。我が家の外務大臣はここで異才を発揮し、いわば一種の人気者になってくれたお陰で私は付き合いの上で大変助かった。ワイフは米人などと付き合うことが楽しいようだ。米人同士が早口や不鮮明な発音や米人特有の話題・単語で話すとついていけない苦しさは誰にでもあるが、それを日本の話題と、おしゃれで補った。そのためおしゃれには非常に努力したしそれを負担に感じることもあったようだが、おしゃれを明示的に褒めてくれる社会だから努力の甲斐がある。正装に和装と洋装を用意してきたが、和装の評判があまりにも良いために同じ着物を2度も着て正装はほとんど和装で通した。留袖の訪問着に二重太鼓の帯を締めるのは相当なベテランでないと自分では出来ないんだそうで、その上に米船に乗り込んできて英語で付き合う日本人は少ないだろうから、モテても不思議は無い。努力に対してそういう評価が得られることをスミヱは殊の外喜んでいた。加えて色々珍しい土地を観光して世界遺産を一挙に9ヶ所見て、宝石まで買って貰えれば言うことは無い。わざわざ貧乏サラリーマンと結婚して私の会社生活を支えてくれた結婚38年間に報いることは何を以ってしても無理としても、充分感謝は表現できたと思うのだ。

 第二目的はそう簡単ではなかった。読み物も書き物も充分用意してきたのだが、全く進まなかったほど忙しかったから、じっくり自分を見つめ直す旅にはならなかった。しかし私共は船客の中では異分子に近かった。歳も平均より若かったが、同年代の人達と比べても我々は若く元気で、歳を疑われるほどだった。逆にいうと、我々はまだこんなに元気なのに、世界一周の船旅などしていていいのか、という自責の念が生じた。世界一周をしようなどという人達の平均像は、成功した輝かしい経歴を引退してFlorida、Californiaなど暖かい地方に引退して十年ほど経ち、クルーズもSegmentで数えて十数回経験し、しかしなお何かで世のために役立とうと努力している人達だった。或る88歳の男性は、事業が好きでたまらないから会社を一つ買ったと言った。元Appleの技術幹部は引退後バリトンの声を生かして本格的に歌を勉強し、ボランティアで養老院や病院の慰問に回っている。なるほど歌なら俺も嫌いじゃないから本格的にレッスンを受けて.....と一瞬思わなくはなかったが、「待て待て、お前は歌で役立つよりももっと役立つ道があるんじゃないか」と思い直した。大した力ではないが、まだまだ力を充分使いきったとは言い難い所がある。「知らざりき」の意味は、(1)世界一周の乗客は私共より十年がとこ年上だったこと、および(2)歳はとっても、例え体は不自由でも、なおエネルギッシュであること、そういう世界を知らなかったという意味だ。我々に第1次大戦後の独のインフレの体験談を聞かせてくれた最高齢92歳の某夫人は、今でも大変おしゃれで、宝石を買うことにも熱心だった。「私もこれからもっと宝石を買っても罰は当たらないみたい」とスミヱが危険なことを言い始めた。乗客の老人パワーを目の当たりにして、私の中にまだ不燃焼のエネルギーが一杯あることに改めて気付かされた旅だった。

 隠居人生にはまだ心身ともに若すぎる。若者と一緒にもう一汗かく場が無性に欲しくなった。帰国後はそれを探すことにしよう。    以上