うつせみ
2006年12月 9日
           日本人と英語

 今回も旅先でよくワイフも私も"Your English is great !"と言われた。Greatのはずはないと自覚しているが、それだけなら悪い気分ではない。しかしその後に一拍おいて"for a Japanese"と言う。例え言わなくても第2 Phraseを呑み込んだ様子が読める。大抵は店舗での会話だ。褒められたのか馬鹿にされたのか複雑な気分になる。Chineseかとよく聞かれる。憤然としてJapaneseだと言っても米国に住んでいるのかとか聞く。要するに純粋な日本人が夫婦揃って英語を或るレベルで話すとは、彼らの想像外なのだ。そんな日本人夫婦は本当は沢山居るのだが、彼らに接する機会が稀なのだ。じゃ日本人はどうやって買物をするんだと聞くと、Tour Guideに引率されて来るか日英会話集と首っ引きで買物をするという。残念ながら日本人の英語下手は世界の中間層に有名になっている。

 私はその原因を知っている。英語教育云々もあるが根本的には、日本は英語がカネにならない珍しい国だからだ。米国には英語が話せない人も居るが低収入に甘んじている。ロシアや中国で高収入の人は皆英語を話す。我々の船室のメイドはインドネシア人だがホテル学科を卒業したとかで流暢な英語を使う。彼女の国では英語が話せるかどうかで収入の桁が違う。しかし日本では特別な場合を除き英語力と収入は無関係だ。日本で英会話教材の販売で成功した人の話を聞くと「英語が話せればこんなに夢が広がるでしょう」と夢を売る仕事をしていたようだ。外国では夢など売らなくても実利でいける。仮に日本で英検1級を持つ人の給料は1.5倍という法律ができたら、英語教育制度がどうあろうとも、数年以内に日本人の英語力は格段に変わってくることは間違いない。日本人は英語が下手だということは、それだけ日本語で生活し活躍できる良い国だということだ。

 似た例がある。米国でも外国語能力は収入に無関係だから、米人は外国語オンチだ。外国語が必須になるのは博士課程だけだ。落ちこぼれし易い数学と外国語を後回しにして修士までは誰でもなれる制度だからだ。米国の博士課程で学ぶ外国語は読破に重点があり実用会話は考慮の外だ。

 語学力は人の能力のごく一部に過ぎない。しかし英語ができないと馬鹿に見えることも確かだ。上司筋のA氏が、部下のX氏を海外事業部長にしようとした時、私はX氏は英語が出来ないからと反対した。自らも英語が得意ではないA氏は「英語力と経営力・管理力は別だ」と言った。それは正しいが、海外事業部長は海外とのお付き合いが不可欠だ。その時に馬鹿に見えては困る。私が横浜根岸の米海軍住宅に通って英会話を習った士官夫人は、円周率Πは3+1/7だと言い張った。私はいやΠは無限小数だと説明したが、彼女は私の間違いを正そうとした。文科系大学を中退した彼女と、理科系学士で技術者の私とがΠに関して意見が異なったら、彼女が引いて私に教えを請うのが普通だろう。しかしつたない英語のために私は彼女には馬鹿に見え、彼女はΠについてさえ優越感を持っていた。

 日本人ビジネスマンB氏の言うには、仕事仲間の米人Y氏は頭が良く、英語で議論すると負けるが、日本語で議論すると途端にY氏は馬鹿になるので勝てると。頭の処理能力の一部を外国語処理に使うと等価的な処理能力低下が起こる。そういう実質的な能力低下の上に、つたない言葉で馬鹿に見える現象が付加される。日本では英語だけで外資系の幹部に昇進した人に時々出会う。幹部は本社との連携も必要だから英語は必要条件だが、英語ができれば相対的に有能に見えてしまうという現象も否定できない。

 日本人に余暇とカネが出来て大いに海外観光に飛躍するのは喜ばしいことだ。しかし英語が出来ない故に馬鹿に見える日本人が、日本人一般を馬鹿にする風潮を世界の中間層にますます広めていることも我々の実感で、悔しく思っている。船には我々に合掌して挨拶する幹部や、明るいうちから「コンバンワ」と挨拶する乗務員も居た。片言の日本語でも喜ぶ日本人客が居る以上それらはサービス努力の一環だ。きちんと説明して上げないと気の毒だから意を決して正すと、熱心にメモをとり質問してくる。その程度の意思疎通すら出来ていない現状を私は憂えている。やはり英検で給料を何倍かにするしか、日本の民間国際友好策は無さそうだ。  以上