船はNew Zealandを発って仏領Polynesiaに6日間の旅をしている。つまり5日間は海の上だ。さぞ暇だろうと思うかも知れないがかなり忙しい。今日は素敵な女性海洋学者によるScuba Divingの実習を船のプールで受けたし、昨日も今日も物好きに3つも講義を聴いてしまった。Polynesia文化、海洋学、天文学の専門家が連続講義をしている。今日はまたPolynesia美人の写真を撮るのに多忙だった。Polynesiaで沢山の作品を描いた後期印象派の仏画家Paul Gauguin(1848-1903)の名を複数にしたLes GauguinesというPolynesian Dance Team 7名がTahitiからやって来てNew Zealandから乗船し船内の数箇所のレストランを流している。音楽も踊りもHawaiiのフラダンスに似ているように見える。腰を落として大きく回し腕と指先を優美にくねらせる。男性Dancerも野性的で魅力的だし、女性Dancer3名も何れも美人で大柄でカッコ良い。今日は椰子の実のブラと手拭程度の布を左腰で結んだだけで海風の強い屋上のプールサイドに現れた。先進国で流行したLow Riseの発祥もこの辺りではないのか。男女とも浅黒い肌の裸でこそ美しく、衣装は美への冒涜とさえ思える。GauguinがPolynesiaの女性なしでは居られなかったのも分かる気がする。なお我々のPolynesia文化の女性講師も、スイス人ながら仏国の植民地政策の研究過程でPolynesiaに取り付かれて移住したという。
Polynesiaとは、Many Islandsを意味し、当初18世紀には太平洋全体の島々を総称したが、19世紀に定義が改められ、今では同系の文化、言語、人種を持つおよそHawaii、New Zealand、Easter島を結ぶ大三角形の中を指す。その中でTahitiを含む仏領Polynesiaは中央から東側に広がる。その三角形の外側では、New Guinea島とその周辺は、Papua New Guineaという国があるくらいで色黒のPapua人が居るので、Melanesia(Mela=黒、Melaninなど)、その北に広がる小島が多い南洋諸島がMicronesia(Micro=小)と呼ばれ、太平洋が3分割された。元々はPapua人が先住民で、数万年前の氷河期に島々やNew Guinea島とAustraliaがつながっていた時期に、Melanesiaと豪州に展開した。その後数千年前に台湾原住民を先祖としMalay人などとも同根のAustronesia人(Austro=南)がMelanesiaに移住してきて、Papua人を圧倒しつつ共存し、そこから更に北方のMicronesiaと東方のPolynesiaに展開したとされている。Polynesiaの中ではNew Zealandが最も入植が遅く、800-1300ADに仏領Polynesiaから南西に逆流してきてMaori人になった。今我々が20ノットの客船で6日も掛かって逆コースで渡る海を、自然まかせのカヌーで乗り越えた勇気に思いを馳せる。
この広範囲の島々にどうやってAustronesia人が渡ったのかが西洋の学者の間で議論され、嵐で流れ着いたりアテズッポに航海してたどり着いたに違いないと西洋科学の常識から判断されていた。しかし近年の研究によれば、長年の経験に基づく自然活用の航海術が存在したと考えられている。Polynesiaが西洋の植民地になってからは遠洋航海が行われなくなり航海術が失われてしまったが、わずかに残ったPhilippinesとMicronesiaの古老のノウハウを再現する実地実験が行われた。波長の短い波は局所的な気象条件で変わるが、波長の長いウネリは平行波として遠距離に達し、島があると点源の反射波が生じる。彼らはウネリを8種類に区別したという。また海の水をなめて海流を分別し、渡り鳥が飛んでいく方向に陸地があることを知った。夜は星の位置で現在地と方向を見定めたという。また努めて季節風の風上に冒険に出掛け、失敗したら追い風で素早く戻ったともいう。彼らは島の距離を「カヌーで何日」と表現したそうだ。
Gauguinが、技巧を見せない素朴な画風で描いた仏領Polynesiaの原始的な生活の絵が、文明人が対極として持つ自然と原始への本能的郷愁を掻き立て、世界的なPolynesiaへの憧憬の大きな要因になったと思う。日本から態々Tahitiに結婚式を挙げに来る若者も多いと聞く。GauguinはParisで食い詰めて止む無く仏領Polynesiaに住んだのだろうが、当地の原始生活と野性的な女性をこよなく愛したことも間違いない。我々もPolynesiaでそれらの片鱗に触れられれば嬉しいのだが。 以上