うつせみ
2006年11月28日
               羊

 New Zealandの人口は僅か4M人だ。この豊かな国土にどうして人口がもっと増えなかったのか不思議だ。より南極に近く寒い南島に1M人、より温暖な北島に3M人、うち半分はAucklandとその近郊に住む。それに対して羊の数は40M頭、南島に30M頭、北島に10M頭と、覚えやすい形になっている。南島では人間1人当たり30頭の羊が居ることになる。

 だからNew Zealandをドライブすると至る所に羊の牧場がある。緑の草原で羊は黙々と草を食んでいる。土地の生産性が低い場合に、土地には牧草を生産させ、点在する牧草を動物に食わせて、言わば薄く分布した土地の生産物を集めさせるのが牧畜業だと聞いたことがある。蒙古や中東の牧畜は確かにそうだ。しかしNew Zealandでは雨も多く牧草でなくても野菜の栽培も可能だが、恐らくは人口が少ないので集中耕作が出来ないのであろう。土地の生産性ではなく、単位面積当たりの人の生産性の低さを羊が補っているように見える。雨が降っても羊は外に出したままだ。脂を含んだ厚い外套を着ているから雨も平気なのだろう。

 羊毛の刈り取りの実演を間近で見たのは初めてだ。バリカンで30秒ほどで1頭を刈り取ってしまう。よく羊がおとなしく刈らせるものだと今までは思っていたが、押さえつけられた羊を間近で見ると、何か大変なことが起こっていると恐怖の目をしている。足を痙攣のように震わせる羊もいる。刈り終わって解放されてもうまく立てなかったり逃げられなかったりするほどだ。羊にとって人間は恐ろしい存在に違いない。

 牧場に広がった羊を1箇所に集めたり、逆に散らせたりするのは、Sheep Dogと呼ばれる犬の仕事だ。或るデモでは、牧場主の笛の吹き方に従って、犬は羊の広がる斜面を駆け上がって行き、後に回って羊を追い下ろしてきた。羊に噛み付くのはご法度のはずだ。それでも羊は狼に似た犬を恐れ、姿を見ただけで群に緊張が走り、犬の居ない方に群は急ぐ。羊が意外な高飛びを見せて柵を乗り越えて逃げてしまったこともあった。

 或る所では背丈30cm強の子供の羊が混じっていた。犬に追われて群が逃げ惑うのに懸命に付いて行く努力が気の毒だったが、遂に体力の限界となり群から遅れてしまった。その時子羊は、パタッと地面に伏せ、顔を草に埋めた。犬は勿論それに気付いたが無視して大人の羊を追った。危険に襲われて体力の限界に達した時に、ヒョロヒョロさ迷うと格好の餌食になるばかりだから、草に突っ伏した方が確かに生存の確率は高まる。

 或る時、群の中で一際立派な体格の羊が逆に犬に反発したのを見た。飛び掛る仕草を見せたので、犬はサッと引いた。それが2-3度繰り返された。例え飛び掛っても羊には噛み付くことも何をすることも出来ないから、体当たりがせいぜいだと思うが、それでも犬は警戒した。立派ではないか、同じ羊でもこういう羊でありたいと私は思う。なおこの羊には雌羊がピッタリと常に寄り添っていた。ウン、モテて当然だ。

 Scotlandで同様なデモを見たことがある人の話を聞いた。コンテストでチャンピオン賞をとった最高のSheep Dogを見たそうだ。首の周りに色ペンキでマークされた羊5頭と、マークのない羊10頭をちらばせておいて、30分以内にマークの有無に従って別の囲いに追い込むのが競技になっていて、それで優勝したことのある犬の技を見たという。

 羊の牧畜を見るうちに、西洋文明は牧畜に深く根ざしていると思うようになった。日本人は農耕民族、西洋人は狩猟民族とよく対比されるが、牧畜民族という見方がよりふさわしい場面も多い。伝統的な日本には家族の一員として牛馬を飼うことはあっても、動物を育てて搾取する牧畜は無かった。人は羊から羊乳や羊毛を取り、最後は肉にしてしまうが、そのために羊を大切にし、例え手段は強制力の行使であっても、羊のためになるように最善の方向に勤勉に努力する。西洋はこの要領で植民地を経営し原住民を搾取したのではないか。日本も遅れ馳せながら真似をしてみたものの、農耕民族には植民地経営はうまく出来なかったのではないか。昔米大企業から技術を受ける折衝をした時にもそれを感じた。現Bush政権にも善意で勤勉な牧畜を感じてしまうのはNew Zealandボケだろうか。  以上