うつせみ
1998年 11月15日

           資本主義の鼻輪

 11月15日夜のNHKテレビの討論会で米国前連銀議長のボルカー氏は「日本の銀行は遅れている、非常に奇妙なことが起こっている」と言った。氏は遠慮して具体例に触れなかったが、私は奇妙な実例に思い当たった。

 政府が銀行のために公的資金を用意したのはまともだったが、次に政府が公的資金を受け入れるように銀行の説得に掛かったのは如何にも奇妙なことである。当行は健全で公的資金など要らないとやせ我慢をしている銀行に無理やり導入させる構図で、明らかにシステム設計がおかしい。  牛を動かすには鼻輪を引き回すのが最も効果的である。牛に首輪をつけたり、尻を押しても牛は動くだろうが、遥かに大きな力が要り能率が悪い。経済システムを動かすにも色々なシステム制御手段があろうが、牛の鼻輪のような効果的な制御手段で動かす方が迅速確実である。

 米国人が信奉している鼻輪は、「金儲けの上での優勝劣敗」である。個人レベルでは、才能のある人、才能は無いが努力する人、両方無いが運のある人、などが成功してせめてプールのある家とか、出来ればLake Tahoeの別荘とか、望むらくは10エーカの豪邸とかを持つというAmerican Dreamの実現を目指す。企業が成功すれば経営者や従業員はこのAmerican Dreamに近付く。しかし無政府状態で金儲け指向がはびこると西部劇時代になってしまうから、皆が平等かつ公正に優勝劣敗を競えるように環境を整える必要がある。具体的には、(1)個人的利害と社会的国家的利害が一致するように法律を定め、全体の犠牲において個人が儲けることのないようにする。(2)企業も政府も情報公開を徹底し、裁量や内部情報で一部の人だけが得をすることを避ける。(3)あらゆる機構にCheck & Balanceを徹底し、恣意的な権力の発生を予防する。政治で言えば民主主義である。

 つまり(1)(2)(3)のような平等化公正化のためのルールを定め、その上で自由に金儲けを競わせれば社会全体が良くなるというのが米国人が信奉する鼻輪である。ただし優勝と同時に劣敗をも許容する点が大事である。才能、努力、運に恵まれない人が落ちこぼれても仕方ない、そうならないように皆努力しましょうね、ということだ。

 従って公的資金投入問題を米国流に扱えば、貸出金額特に中小企業への貸出金額の増大が目的なら、それらが何%増えた銀行には幾らの公的資金を投入するというルールを定めて、「この制度を利用したい銀行があったら申請しなさい」という言い方になる。非常に単純明快で能率的にやれる。情報公開が徹底しているから貸出金額がどう増減したかは誤魔化しようもなく白日のもとに晒される。これに対して日本では、経営不安説を流された富士銀行がそれを打ち消すために資産内容を公開しようとしたら、政府がそれを止めた。富士銀行はよいかもしれないが各銀行が公開を求められる端緒になりかねない。公開すると破綻せざるを得ない銀行もある。よって富士銀行の公開はまかりならぬと。貸出金額などの詳細を政府は金融監督庁の最近の調査で掴んだに違いないが頑として公表しないから増減を公の場で論じることができない。だから米国流はできない。だから公的資金投入を各銀行に要請するような不思議なことをやらねばならなくなる。鼻輪のかわりに首輪で引こうとすれば余計な力が必要である。

 日本社会のルールは共存共栄である。美しいが裏面に困難を秘める。劣敗を許容できないから、それが起こらぬように情報公開を制限し仲間内の情報交換をよくし規制を維持し阿吽の呼吸で裁量をはかる。阿吽の呼吸が通じない新規参入者や外国勢を排除する。談合や官民癒着と非難されるようなことが、実は共存共栄のための美徳として広く行われている。

 この共存共栄主義はほんの数年前まで世界の羨望の的であった。成長期には短所より相互支援スクラムの長所が発現できた。外国自動車の購入増大圧力にも、車検や部品の自由化で応える代わりに政府指導で国内販社が外国車を併売することで業界秩序つまり共存共栄体制を守った。

 日本には日本流のやり方があってよいのだが、非能率を補うよほど強力な行政が無い限り共存共栄主義で危機対処が出来るのか疑問に思えてきた。ソ連もシステム制御の困難で崩壊したことが想起される。  以上