食器洗い機
我が家に無い電気製品の大物の一つが食器洗い機だった。食事の度にワイフが食器を洗うのが気の毒で、せめて拭く位はとお手伝いするのだが、拭くだけでも結構大変で、そのくらいなら使う食器の数を少なくしたいと私は直ぐサボる方向で考えてしまうほどだ。実際一人で食事する時にはなるべく食器は使わないようにしている。嘘か本当か茶碗の上にサランラップを敷いてからご飯をよそると食器洗いが不要で便利とかいう話も昔聞いたことがある。私ならそんなことをしなくても、釜から直接食べるとか、1枚の皿に飯もおかずも一緒に盛ってしまうことを考えそうだ。ことほど左様に食器洗いの作業は私には楽しくない。だからそれを淡々とやってしまうワイフには大変申し訳ない気持が強い。
昔新製品アイディア会議で、ビデオの次は食器洗い機で、海に囲まれた日本では車の次にレジャーボートの時代が来ると、米国帰りの人が主張し一同納得した記憶がある。ワイフの作業を見ているとそれもごもっともとその時私も思った。しかし実際にはそんなブームは来なかった。今思えばなぜパソコン・インターネット・携帯電話というような発想が出なかったのだろうと残念に思う。
ともあれ私の心の刺を解消する機会が遂に来て、我が家にも食器洗い機が設置された。流し台に埋め込む形で、天板の上は流し台の延長として使える。ああこれで食器を拭く作業とはおさらば、と思ったのが甘かった。ワイフは数回食器洗い機を使った挙げ句結局従来通りの手洗いに戻ってしまったからだ。ワイフの弁は「何十年もこうやって洗ってきたから習い性になったのよ」であるが、本当は食器洗い機の所要時間が意外に長いことに業を煮やしたらしい。食べ終わったら食器に付いた食べ物を拭き落として食器洗い機に詰め、上から洗剤を撒いてスイッチを入れると、何度も排水したり洗ったりして、乾燥して仕上がるまでに小一時間掛かる。1時間かかろうが2時間かかろうが、次の食事までに仕上がればいいじゃないかと私はサボり心を出すのだが、ワイフは手洗いすれば私が手伝わなくても15分もあれば片付いてしまうという。お客様を招待した時に、ホステスとしてのワイフが独りで食器を洗っていてはお客様に気を使わせるから、その時は食器洗い機に働いてもらってホステスも直ぐ団欒に加われるから便利だわね、という評価になってしまった。外交担当のワイフが抜けて私だけになると、無意味な会話が途切れ勝ちになることがあることをも心配してくれているのであろう。そう言えば食器洗い機が普及してもよさそうなレストランであまり食器洗い機を見かけない。もっとも客席から食器洗いの作業が見える程度のレストランでの話であるが。
食器洗い機は洗濯機と同じようなもので、事実洗濯機事業部が製造しているメーカが多い。洗濯機は確かに女性を洗濯の重労働から開放した。私が大学を出て就職した最初の夏に、月賦で実家に洗濯機を送ったら、母が狂喜した思い出がある。昭和30年代にはまだ洗濯機は初任給の2-3倍もして、金持ちの家にしかない贅沢品だったのだ。洗濯機は人力を上回る働きをするのに、なぜ食器洗い機はそれほどの威力を発揮しないのか?
食器洗い機は食器の表面でも裏面でもどこに汚れがあっても落ちるように設計されるが、手洗いの場合は汚れを見て選択的に洗えるから格段に能率が良いことには直ぐ気付いた。機械が人間のインテリジェンスに敵わない悲しさである。しかしそれは洗濯機も同条件だ。
もし食器が布のように自由に折れ曲がる材料で出来ていて、水の中でゴチャマゼにして洗えるなら、多分もっと能率の良い食器洗い機が設計出来るのであろう。実際には食器は或る形を持ち、固定状態で洗わざるを得ない。形や置き方を自動認識して洗うとか、皿のみを一定の置き方で洗う場合に限れば能率が上がるのであろうが、それは難しい。つまり「形と位置」がどうであっても洗えるという条件が、洗濯機にはない難問として食器洗い機には課せられ、その分非能率になっているのであろう。
なにワイフもそのうち「近代化」するはずだ。投資も多分無駄にはなるまい。しかし食器洗い機は洗濯機ほどの効用は期待できませんね。 以上