次回関東大震災
富士・箱根を含む伊豆半島がPhilippine Plateに乗って南からやってきて、ドシンと日本に衝突したことはよく知られている。ところが1980年代から唱えられ始めた新学説では丹沢も実はそうなんだ、という本に出会い、関東大震災が今日にでもまた起きて不思議が無いことを知った。
新聞広告に出ていた本の広告に興味を持ち、
「南の海からきた丹沢 神奈川県立博物館編 有隣新書 226頁」
をamazon.co.jpに頼んだら、「ちょっと待って」のemailが2度来たあと、入手不可と断られてしまったが、有隣堂のWeb Pageから購入できた。世界でも珍しくダイナミックな神奈川県西部の地殻活動に焦点を絞って、地質、化石、地震などの学者8名による講義が1987年に博物館で行われ、それをベースに1991年に有隣新書が出来てから第7刷を数えるらしい。
周知のように神奈川県西部は地殻の複雑な所である。伊豆半島を乗せたPhilippine Plateが、西日本を乗せたAmur Plate(Eurasian Plate)と東日本を乗せたOkhotsk Plate (North American Plate)の下に沈み込み、その東からPacific Plateが押し寄せてきてPhilippine PlateとOkhotsk Plateの下に沈む、という4つのPlateがひしめき合っている場所は世界広しと言えどもここしかない。その名誉ある地域の近くに我々は危なっかしい生活基盤を構えている訳だ。お陰で大正12年には関東大震災があったし、小田原城の天守閣など歴史上何度崩れたか分からぬほどだ。
関東山地からの堆積物から成る水成の砂岩・泥岩の或る地層が隆起して、房総半島、横浜、三浦半島で見られ、しかし丹沢の北側相模湖の辺りを通って富士川から静岡県掛川に連なっているそうだ。但し丹沢の北では地層が垂直に起こされるような激しい地殻変動の跡がある。その砂岩・泥岩に残る残留地磁気を調べると、元々はほぼ一直線だったものが丹沢に押し込まれて彎曲してしまったことが分かったとのこと。一方丹沢の地質は伊豆半島や伊豆諸島と似ていて、火山からの熔岩とそれが礫となって堆積した水成岩から成る。丹沢が6百万年前に衝突してから、丹沢の南に新たに断層が出来てPhilippine Plateはそこから沈むように変わった。その内に今度は50万年前に、富士・箱根を含む伊豆半島が丹沢に衝突した。
Philippine Plateが相模湾海底でOkhotsk Plateの下に沈み込む場所は相模トラフといって、伊東沖から東南東に伸びて銚子の先をかすめるやや深い海底となっている。海溝ほどではないのでトラフという。北北西に年間数センチ進むPhilippine Plateが、相模トラフ上でOkhotsk Plateの先端で起こす小競り合いが、時々起こる伊東沖群発地震である。おかげで川奈でのゴルフがキャンセルになったこともあった。もう少しPlateが潜り込んだ深部で両Plateが本格的に擦れあって、小田原周辺でMagnitude 7以上の地震が平均73年に一度正確に発生している。震源断層運動である。その一番最近の例が1923年の大正関東大震災で、これはMagnitude 8の巨大地震だった。次は統計的に1998 +- 3.1年だそうで、もうロスタイムに入っている。そりゃ大変だ、なぜ学界やマスコミは騒がないのかと思ったが、理由がちゃんとあった。
相模トラフではPhilippine Plateは沈み込むが、伊豆半島はもう行き止まりになっていて動かない。このため小田原と真鶴の中間を南北に走る線上でPlate本体と「上物」が乖離して地震となる。これを「西相模湾断裂」という。大正関東大震災では上記の断層運動と断裂が同時に起こっている。断層運動は正確に73年ごとに起こるがその時断裂が起こらない場合は、それが歯止めとなって断層運動も制限される。断層運動に断裂が伴う場合はこの地域の蓄積エネルギーが徹底的に放出されて、2倍ではなく1桁大きいMagnitude 8の地震となる。大正関東大震災の前には、1703年の元禄関東地震が同様であった可能性が高いそうだ。一方で巨大地震は500年(73 x 7 ?)に1回という説もある。従って既にロスタイムに入っている次回地震は、大正関東大震災で徹底的に歪みが放出されたために若干遅れているものの今にでも起こりそうだが、関東大震災の規模の地震は早くとも 1923 + (1923 - 1703) = 2143年までは無さそうだ。 以上