うつせみ
1999年10月29日

              芸者

 昔日本女性がまだ大和撫子だった1960年代に、電気試験所出身の駒宮安男教授から、儒教の中国、韓国、日本に芸者があって米国に無い理由を米国で面白く承り、膝を打って納得した。米国で例えば送別パーティをすれば、奥さんやガールフレンド同伴が常識である。彼女らはセクシーに装いコケティッシュに振る舞うことが期待される。言葉が気に入らなければ単に「魅力的に」と言い換えてもよい。家庭での奥さんも同様である。しかし大和撫子はそのような振る舞いは「はしたない」ことと教育されていて、公の場には出ない「奥」様であり、私的な場でも慎み深いことが要求されていた。米国女性各人が発揮する「魅力」を一部の女性に集約洗練したのが日本の芸者であり、国家的総和は等しい、男性にとっては集中処理か分散処理かの選択だという高邁な理論であった。

 当時は私が膝を打つほど両国の女性は対照的だったが、最近は日本女性も米国化してきた。先日テレビの「なかにし礼」特集で「時には娼婦のように」の歌詞を久し振りに聞き、何だ今では誰でもこの歌詞の通りじゃないか、と思ったものだ。芸者がさびれるのも当然だ。私はDP以来分散処理派だから良い時代になったと思っている。私の年代はもう日本舞踊や三味線や白塗りを評価する時代からは落ちこぼれていた。

 今米国で"Memoirs of a Geisha"という小説が97年発刊以来ベストセラーを続けている。本屋やAmazonで見てその本が評判になっていることは知っていたが、読もうという気はしなかった。どうせ米人の浅薄で誤解だらけの日本観に満ちたいらいらするだけの本だろうと思ったからである。しかしワイフが若干の興味を示したので、先週の米国出張時Oaklandの本屋でこの本を買ってワイフへのお土産とした。海外出張は時差がつらい。私の場合何か読むと眠くなることが多いので、この本を読み始めたら面白くて面白くて眠れなくなってしまった。Hilton Hotelに聖書とともに備えてあるHilton氏の自叙伝"Be my Guests"を昔同じように貪り読んだ挙げ句に触発されて私の半生記「伝馬船」を書いてしまった経緯をご存知の方もあるかも知れない。全く同様なことが起こり事志と異なりほとんど徹夜になってしまった。434頁の本だから一夜では読了できず、帰国の機内で大分稼ぎ、短い通勤時間に読み、今週半ばまで掛かって読了した。

 書評を書いてAmazonに送ると自動的にWebに掲載してくれる。それで今週私の書評が載った。www.amazon.comからMemoirs of a Geishaで検索した書評頁にある。5つ星の私の書評の直後に2つの酷評もあり面白い。書評が列をなしているらしく、すぐ後進に道を譲る運命にあるが。  祇園の名妓と言われたSayuriの一生記である。"together", "zodiac hen", "understanding"と注釈があり、手塚龍一郎氏によれば「相酉理」ではないかとのことだ。私が祇園や芸者に詳しいはずはないが、私の知識と全く矛盾することなく、しかも私の知らないことを沢山勉強した。日本語や地名の引用も全く正しい(一個所だけ旦那になった少将をsho-joと書いたミスがあったが、なぜ中将だけ濁るのかなあ)。その取材の量と正確さにまず圧倒され感心してしまった。10年かけて取材したらしい。

 Sayuriの悲哀に満ちた人生の随所に感動があり、涙を誘う共感があり、ハラハラする展開がある。Eroticismを評価する人も居よう。美しい日本語が通用していた頃の会話の味を最大限に表現した英語になっている。この本は最後まで読まないと損をする。終末が低調との一部の評もあったが、花火で終わるばかりが能ではあるまい。夕焼けの落日のような満ち足りたエピログも私は好きだ。筆者謝辞が最終頁にある本も珍しいが、それには理由がある。謝辞では本の生い立ちを語らざるを得ない。私が頁を進めながら筆者の思惑通りに想像していた経緯とは異なる生い立ちを知り、私の筆者への敬意は一段と増した。是非最後に読まれるとよい。

 久し振りに心に残るいい小説を読んだ。しかし英語の長編は努力を要する。紀伊国屋の洋書部に聞くと、来月か再来月に「さゆり」(または「相酉理」?)の題名で文芸春秋社から翻訳本が出ると聞く。もし原著の味を伝える翻訳であれば日本でも必ずベストセラーになると思う。