うつせみ
1998年 6月13日

             護送船団

 護送船団は第2次大戦で盛んに使われた言葉で、多数の輸送船を巡洋艦、駆逐艦などが囲んで敵襲を防ぐ隊形である。必然的に最も速度の遅い船に速度を揃えて整然と進む。天敵の駆逐艦が何隻も居る船団は潜水艦には比較的有効だったが、制空権を握った米軍は文字通り次元の異なる空から襲いかかり、殆どの護送船団は海の藻くずとなった。

 日本政府の金融政策を護送船団と最初に呼んだ人は、第2次大戦を経験した人に違いない。一番非効率な銀行でもやっていける預金利子や、一番弱い保険会社でも生存できる保険条件を政府が設定してきた。金融業界だけではない。米価でもタクシー料金でも建設業界の慣行でもみな護送船団でやってきた。最近の電力の小売り自由化論でも電力託送の送電線使用料が高めに設定されたため小売りの競争激化は無いだろうという。

 これらの事例を貫くコンセプトは、国の繁栄<--業界の繁栄<--企業の繁栄<--業界秩序<--過当競争の制限、という図式である。それが護送船団方式の背景にある使命感であろう。美しく呼べば「共存共栄」、汚く呼べば「談合体質」である。お陰で日本の諸コストは世界一高いが、だから競争力の無い企業も生き残り、非能率な従業員も高給を食める。作業能率に関係なく老化するほど多少とも昇給があるという不思議な制度が維持できてきた。しかし電力業界の繁栄のお陰で東芝社員は高給を貰えたし、銀行行政のお陰で行員は高遇を得たのだから、文句を言える筋合いではない。

 成るべく保護の及ぶ業界か、そのおこぼれが貰える企業に就職すれば得になる訳で、出来れば東京電力、でなければ東芝、それが無理なら東芝エンジニアリング、それが駄目なら...という階層構造が出来上がり、受験戦争にまで連動して来た。昨今の環境下では非能率で国際競争力は劣るが国内だけで考えれば最大多数の最大幸福が希求されてきたと言える。お陰で国民のほとんどが自分は中流でマアマアと思う社会が出来た。

 中教審は、算数・数学での落ち零れを抑えるためにカリキュラムを削減する答申を出したという。典型的な護送船団発想で、速度の遅い船に合わせて日本全国の数学教育を減速しようという話である。b**2-4acと習ったが実生活に全く関係が無いから中学の数学から外そうという議論は、走り高飛びを習ったが実生活には無関係というのと同じである。ともにそれらを題材として頭や体を鍛えるのが趣旨である。企業を単位とした護送船団だけでなく、生徒や会社員のような個人を単位とした護送船団もこのように従来日本では常識であり、美徳ですらあった。

 護送船団・共存共栄の思想は、必然的にメンバーの固定と新規参入の排除を必要とする。この点が経済のグローバル化と矛盾してきたのが日本の不幸であった。新規参入を自由にすれば共存共栄のための業界秩序が守りにくくなる。まして共存共栄などとは夢にも思っていない外国企業が参入すると「話が通じない」から排除する。外国企業を排除すると日本は世界の中で田舎になる。地元の人だけが独特の文化の中で生きる余所者が入り込めない田舎である。田舎は広い世界の発展を充分享受できない。まして日本企業はどんどん外国に進出するが外国企業は入りにくいままというご都合主義が通用するはずがない。鎖国が無理なら開国しかない。開国すると世界の価値観、それも世界をリードする米国の価値観が入り込んで来て、それに合わせないと開国したことにならない。この米国流の考え方が護送船団の対極にある。新規参入歓迎で、業界秩序や政府介入を嫌う自由主義的競争社会である。これが輸入されて金融ビッグバンを初めとする各種の自由化・規制緩和・撤廃が進んでいる。

 護送船団が崩れて個々の船舶が自ら生きる道を探る自由競争では、それが企業であれ個人であれ落ち零れが生じるのは理の当然である。それが今失業率を押し上げ、4月にはかってない4.1%に達し米国と肩を並べたという。空気と同様にあるのが当然だった就業保証が怪しくなった時、人々は消費を控え、不況を助長し、また就業不安を招く。世界に誇る中流意識も二分化が始まったという。困った時代になったものだ。

 護送船団は再び空から米国に襲われているようだ。      以上