うつせみ 
1995年 1月 2日

             俳句正月

 甲州中富町の「句碑の里づくり実行委員会」から、「年賀」と朱記され た郵便選句会の結果が年賀状と一緒に届いた。実はこの中富町で9百基を 数える句碑のうち、いち早く申し込んだ会員番号22番の私の句碑には、
   唐松の黄葉(もみじ)三つ四つ黒髪に
という句が私の筆跡で彫り込まれている。まだ妻の髪が黒光りしていた 1988年に、妻と一緒に自然の中にあることの幸せを詠んだ愛妻の句である。

 昨秋この委員会が催した郵便選句会で、「北海道から沖縄までの秋の句 を募集」とあったので、へそ曲がりな私は「米国の秋の句」を投句した。
   会議終へ金門橋の霧晴れぬ
   稔り田の山河に映ゆる故国なり
秋の季語「霧」で有名なSan Franciscoのとある高層ビルのVenture Capitalistの会議室で打ち合わせを終え、仕事上のモヤモヤも、ふと見下ろし たGolden Gate Bridgeの霧も晴れていたという感動を詠んだ句である。

 世界的視野で見ると、我々が日頃当たり前と思っている緑の自然が実は むしろ例外的存在だと気づく。荒れ地や氷原や大海原を越えて成田に近づ くと、「やっと帰ってきた」という安堵感と共に「何と美しい国なのだろ う」と思ってしまう。この時は緑の山河と黄金色の稔り田がコントラスト を成しとりわけ美しかった。その感動が第2句となった。

 11月末に委員会から、投句された合計2百句ほどと、各自良いと思う 10句を選句するための葉書が送られて来た。確かに感動を共有できる句 も多いのだが、困ったことには玉に若干石を混ぜないと10句に達しない ように感じ、そのくらいなら自分の第1句の方がよほどましだと思って、 何と自分の句にも清き1票を投じたのである。その集計の仕方を想像して、 まあバレることはないはずと思ったからでもある。

 選句の結果を年賀として受け取ったので、早速自分の句が何票得たか見 てみると、何と!各1票しか入っていない。第2句は誰かが共感を感じて くれたのだろうが、第1句は私自身の票である。因みに高得点の3句は、
   病む母にしばし良夜の障子開け
   倖せは身近にありて梨をむく
   弁当を稲架(はざ)に吊して刈りすすむ
であった。ウーン第1句はさすがだが、あとの2句よりは俺の句の方が遥 かに優れていると思うけれどなあ。

 似たような経験が過去にもあった。私が投句して落選したのは、
   夾竹桃成田に続くワンオーワン
という句であった。成田を発つ時に高速道に夾竹桃が満開であった。今出 張を終えてSan Francisco空港に向かう国道101号線も夾竹桃が美しく、 まるでこれから帰る成田に続いているようだ、仕事上も日米連携を実現し たし、という気分であった。なお"One-Oh-One"は言わば日本の「国道1号 線」で、米国に出入りする人で知らぬ人はない。この時入選した句は、老 い先長くない想いや、次々にあの世に旅立つ友を忍んでの句が多かった。

 要するに選句というシステムは、選句者の共感で選ぶのだから、同じ文 化を共有する仲間内でのみ有効に機能する。俳句そのものが均質社会の産 物である。「霧」や「月」が秋の季語という約束ごとからして、或る地域 ・文化が前提となっている。冬のフィリッピンで俳句を詠もうとしてはた と季語に困り、季語集には無い「オリオン座」でごまかした経験がある。 俳句ももっと国際化しなくちゃいかん! 「松下派」でも創立するか。

 こんなことを考えながら委員会からの選句集を見ていて「アッ」と驚い た。表紙デザインの一部に、私が選句投票をした葉書のコピーが載ってい るではないか。「一番気に入った選句葉書」という注釈がついている。単 に選句番号を書いただけでは面白くないので、「発想が面白い」「私も体 験してみたい」「美しい」などと一言ずつ加えたのが編者のお気に召した らしい。編者は多分気づかなかったろうし、多くの人は気づかないと思う が、恐らく何人かの人は私が自分の句に1票入れたことをこれで発見する に違いない。しかもそれが唯一の得票であることも。マイッタ! 以上