うつせみ
2000年 2月13日

          一億総白痴化運動

 昔私が学んだ米国Illinois大学は州立で、全米的にも高レベルとされた学科が沢山あった。Nobel物理学賞を二度も貰ったBardeen教授の授業は私などの及ぶ所ではなかったが、その愛弟子の授業で半導体物理を学んだ。先進的コンピュータ研究Project SeriesのIlliacに幸い参加できた。

 だがそのIllinois大学にDepartment of Recreationというのがあった。Recreationの理論と実践を極める学科で、学生は当時全員女性だった。我々留学生は女子学生とのゲームやダンスの実習に駆り出された。私も2-3度はホイホイ喜んで出ていったが、実はすぐ飽きてしまった。

 日本の学生に比べてIllinoisの学生のレベルは一般に低いと当時の私は感じていた。高校の成績が良ければ無試験で入学できる州立大学だから、日本の入試競争の勝者と比べて平均値が低いのは当然だった。その代わり入学後の成績で「D =不可」が2つ溜まると自動的に放校となるから、学部学生でも猛然勉強しめきめき力がつく。更に修士課程に入ると「C =可」2つで放校である。こういう競争の中で修士卒業時点で日本の修士と同等になり、博士では米国が上ではないかと、当時思っていた。

 そのやや落ちると思ったIllinoisの学部学生の中でRecreation学科の女子学生はまた一段と落ちることを私は感じた。州立大学の責務として、小難しい学問に取り組む意欲も能力もない州民子女にも大学教育の機会を与えているのだと私は解釈した。最初は目を見張った絶世の美女(この年代の白人は美しい)も急速に私の興味の対象から外れて行った。

 私は東大や早大もRecreation学科とか芸能界学科とか漫画学科を開設すべきだと思う。原則として入学希望者は全員受入れ、しかし授業料はタップリ貰って独立採算以上にし、あまり難しいことを言わずに早大漫画学士などとして卒業させるのである。教職員も広範囲の人材を集める。なぜならば、今日本全国の学生や両親の大多数はこういう学科を理想としているに違いないと思えるからだ。市場ニーズは非常に高い。

 最近本屋が変わって来た。昔本屋の親父は小難しい顔をした一徹者がやっていて、一種のアカデミズムすら漂っていたものだ。最近の本屋は床面積当たりの売上を向上させるために漫画と低俗小説と雑誌のコーナを最大化している。商売的にはまさにそれが正しい。

 商売柄言い難いのだが、テレビも同様である。視聴率と収入が無関係なNHKと、視聴率を大きく稼ぐことを諦めたテレビ東京とを除き、各テレビ局の番組はほぼ同一である。広告収入に比例する視聴率の向上を目的とする限り、ギャグと笑い、芸能界ゴシップ、セックス情報・画像、のぞき趣味、などの低俗番組が最適なのである。それを小学生以上大人まで毎日3時間も見ているという。テレビを見る時くらいは易きにつきたい人間が大多数で、易きにつくことの定義が上記のような低俗番組だとすれば、それが流行るのは自由経済の原則である。

 白状しておくが、私も体調が優れない時にはまさに低俗番組と低俗雑誌で無為に時間を過ごしたくなることがある。海外出張の帰りに成田から八王子まで2時間電車に乗る時には「週刊新潮」以上は頭が受け付けない。しかしそう不調でない限りは、易きにつくことが時間の無駄のように思えてしまう。映画でも「風と共に去りぬ」を見ても後悔しないが、「男はつらいよ」は功罪半ばするように思えて、「007」には引き込まれるが後で損をした気になる。「夜明け前」は読んで得したと思ったが、読むんじゃなかったと思う本が多い。熱湯に何分水着美女が入っていられるかを競う番組を見ても、敦煌紀行番組を見ても1日2日ならどうという差もないし、電車に1時間乗る間に週刊ポストを読んでいてもBusiness Weekを読んでも大して差はつかないだろう。リラックスの必要性を否定するものでもない。しかし毎日2-3時間ずつの差が一生続いたら随分と差が開いてきて、人間の市場価値が違ってくるのではないだろうか。

 一億総白痴化運動が進んでいる。学生や消費者自身がそれを要求しているから、自己増殖的に勢いを増している。その流れに身を任せるか、踏み止まるかで人生は大きく変わってくるのではないだろうか。  以上