うつせみ
1996年 9月 16日                                      

            東山魁夷の世界

 東山魁夷画伯に惚れ直してしまった。惚れっぽくてお恥ずかしい次第である。

 3連休は何時ものようにワイフと二人で八ケ岳で過ごしたが、第1日の中央高速の渋滞から見て観光地は混雑していると考え、第2日には収容能力のありそうな長野市に久しぶりで行くこととした。上信越自動車道が通じたので諏訪から2時間弱である。それにしても川中島や善光寺平まで出張った武田信玄も兵も大変だったろうと思う。途中は良かったのだが長野市街、特に善光寺周辺は品川ナンバや所沢ナンバなどで大渋滞であった。善光寺は大盛況であったが、門前町の風情や地方色豊かな商品を買うでもなく見て回るのが楽しい。帰りに長野市郊外のアップルラインで林檎のもぎ取りをしようと思ったのだが、これは早すぎて不発だった。しかし美味しそうな林檎を沢山買って帰った。

 善光寺の東隣に長野県信濃美術館があり、その半分は東山魁夷館となっている。群青(ラピスラズリの粉末の岩絵具)を多用した青い森に一頭の白馬が遊ぶ日本画をご記憶の方もあろう。奈良の唐招提寺の襖を、岩に寄せる波の穏やかな海の青で染めた日本画を覚えておられる方もあろう。あれが東山魁夷画伯である。船具商の息子として横浜に生まれ神戸で育ち、市川に長く住んだ画伯の美術館がなぜ長野にあるのか不思議に思っていたが、説明書きがあった。長野県の山国に接して生まれ育った海辺の町にはない美しさを感じ新境地を拓いたという自覚を持つ画伯は、感謝を込めて多数の作品を長野県に寄付されたのだという。

 私が東山魁夷館に来たのはこれで2度目だが、運の悪いことに2度とも「唐招提寺への道」という展示であった。展示そのものは何度見ても飽きない内容だが、他の面も見たいと期待していたのに残念であった。多分私共は2度とも林檎の季節に来たからそれが原因かも知れない。最初は唐招提寺の襖に直接描いたのかと思っていたのだがとんでもなくて、まず国内は勿論中国まで取材旅行をしてスケッチを重ねる。それを元に目玉の部分の独立画を数多く描く。次に1/20の縮尺で全体を描き、1/5の縮尺で描き、それに格子を書いて正確に拡大して襖に描くものらしい。大変な労力であり、事実何十年も掛かっている。例え画才があっても誰でもやれる仕事では無かろう。

 美術館の売店で先回は画集を買って帰ったので、今回は「信州讃歌」という本を\2,900は高いなあと思いながら買った。それを読んで惚れ直した次第である。まず画伯の文才が素晴らしい。信州の山や里からどんなに美しい題材を得たかを述べる詩のような文章が続く。

 蓼科湖らしい湖を白馬が通る「緑響く」という青い絵では、山の木々がオーケストラで白馬がピアノの旋律だとある。そこまでは私にも分かる。 その次が困った。「モーツァルトのピアノ協奏曲の第2楽章」の単純な旋律を白馬のピアノが独奏するとある。どの協奏曲なのだろうか。

 展示されていた 2 m x 1.5 m 程の「夕静寂」というこれも群青の山に白い滝が一筋流れる大作の解説が本にあった。穂高でスケッチし大作を細かく描き上げた上から濃い群青を一面にかけ、僅かに下の絵が透けて見えるようにした効果が素晴らしい。

 一番感動を覚えたのが、野尻湖の紅葉に黒姫山がそびえる「光昏」という大作である。画伯の文によれは、野尻湖ホテルから描いたそうである。秋空は青、黒姫山は紫、青い湖、赤や黄の紅葉、と色彩が美しかったそうである。私などだとすぐ喜んで色彩の対照を描いてみたくなるのだが、画伯はそんな対照的な色では絵葉書のようで芸術にはならないと思って長年スケッチは放置しておいたのだという。ある日、空を金色に湖を真っ黒に描けば迫力ある絵になるのではないかと思いつき、しかも近景の紅葉が少し弱かったので、箱根で別の紅葉を写生して用いたという。金色の空が決して不自然ではない。赤紫の黒姫山と紅葉が映える締まりのある絵になっている。よく空を金色に塗ると発想できるものだ。

 感性が豊かになったと感じられる3連休であった。      以上