広末・紀香
「私はインテリだから、知的興味をそそる本の広告や書評を見るとすぐAmazonに注文してしまう。優良顧客になってしまった。」と言いながら、ワイフが昼間受け取っておいてくれたAmazon.co.jpからの宅急便を開いて見せたら、ワイフはカンラカラカラと笑って、「読む本であなたのインテリ度が計れるわね」と言った。その本は、
ヒロスエが藤原紀香に勝てなかった理由、櫻井秀勲 東洋経済新報社
筆者は「女性自身」の元編集長で、共立女子短大で「女性学」を講義する講師である。企画屋の必読書かも知れない。
1999年の携帯戦争で、当時19歳の広末涼子を担いだNTTドコモと、28歳の藤原紀香を使ったJ-Phoneとの戦いは、J-Phoneの圧勝だったことから説き起こしているから羊頭狗肉ではない。しかしいかにも絶妙な表題で、さすが中吊りの見出しで売る週刊誌の編集長だ。内容は筆者の女性学の蘊蓄であり、世の中は女性から変わっているよ、それに気付かないと世の中から遅れ、商売も失敗するよ、という本である。科学ではないが世の中の一つの主観的観点として大変参考になる。
ラテン語には「魂=Soul」を表わす言葉が2つあって、女性名詞Animaは女性的な魂を、男性名詞Animusは男性的な心を表わすのだそうだ。スイスの心理学者Yuengがその対比を言い始めた。筆者はAnima型の典型がヒロスエで、Animus型の代表が紀香だという。男性的女性と言ってしまうと紀香のフェロモンは表現できないから、筆者も止む無くラテン語を使ったのだろうが、私なら「受動的女性」「能動的女性」と表現する。
ちょっと首を傾げて媚びを売るヒロスエより、仁王立ちの紀香に人気が集まり、息子の嫁にしたい控えめで可愛らしい受動的女性の時代が終わり、男性に媚びるためではなく自分のために肉体を磨き活発に行動する能動的女性の時代が始まり、ホテルにも店にも女性が男性を引っ張り込むようになったのだと筆者は言う。少なくともそういう能動的女性をRole Model(理想像)として女性は憧れ、受動化した男性もそれを受け容れ、結果として紀香のCMクイーン時代が続くのだそうだ。
主導権が男性から女性にシフトした結果、「さらば偏差値、これからは文化値」だそうだ。「東大卒を典型とする偏差値人間は、新聞は朝日と日経、週刊誌は朝日・文春・新潮しか読まない。しかもそれ以外を読む人をバカにする。そういう人がセンス・感覚の文化から取り残される。就職試験に英語や書き取りを課すからロクな社員が集まらない。芸術・文学・ファッション。音楽・食文化・旅行・色彩・デザイン・雑誌・流行の常識を問えば、感性の鋭い文化値の高い人が採用できる。」という主張だ。これからは「文化」の定義からして考える必要がありそうだ。しかし判る判る、一般大衆に売る商売はそうかも知れない。パソコンだってMIPSよりは色彩だもの。私は家屋や車の色には拘るがパソコンは色では買わない。しかし灰紫で売ったSonyの時代を読む感性はスゴイ!!
品川プリンスのレストラン「ハプナ」は年間百万人を集めるが、ここは女性が男性を引き連れて来ることを狙い、ブランドのバッグが映える内装(あり得るのかなあ)、女性が美しく見える細目の椅子、開放的雰囲気が特徴とか。リゾートには、広い空間で自由に裸を誇りたい女性用露天風呂が必須で、昔風の奥まった薄暗い風呂の旅館は寂れるとのこと。
能動的女性は肌の魅力を前面に出すため、服に付けるブローチよりも、肌に付けるピアス、時計、ネックレスなどが売れ、刺青やBody Paintingまで流行る。自己主張のために、観月ありさ、森高千里、安室奈美恵、小泉今日子、飯島愛、深田恭子、松島奈々子などはみな整形美人で(本当?)、女子大生もリクルート用に整形し、形を整える下着が大流行し、女磨きが巨大な市場になっているそうだ。その蔭で、身だしなみ、お行儀に通じる茶道・華道・着付けなどは衰退方向という。カッコ良いかどうかの前に厚底の履き物は優越感があって気持ちよいものだそうだ。
藤原紀香の仁王立ちのポスターには奥深い世情の動向があった訳だ。ウチなんか四十数年前から時代を先取りしてきたようなものだが。 以上