歴史教科書
時間調整で本屋をブラついていたら、驚いたことに(A)「新しい歴史教科書」が平積みになっていた。アッこれかあマスコミに叩かれているのはと、隣に積んであった猛烈な表題の本(B)と併せて購入した。通勤1.5往復で通読し、意外だったので別の批判本を買うつもりで本屋に行ったのだが無くて、主張本(C)を買って0.5往復で読んだ。本当は他の教科書や批判本も並べて読まないと真相は掴めないと思うのだが、本件に通勤2往復以上の時間を投資するのはバカらしくなった。
(A) 新しい歴史教科書 市販本 西尾幹二他 扶桑社 p336
(B)「新しい歴史教科書」の絶版を勧告する 谷沢永一 ビジネス社 p305
(C) 新しい歴史教科書「つくる会」の主張 西尾幹二 徳間書店 p244
マスコミ情報から、(A)は国粋主義丸出しの偏向教科書かと思っていたが、いやどうして、是是非非を公平に論じた大変マトモな教科書だった。どうしてこれが問題になるの? それは(B)を読めば分かるのだろう。
ところが(B)でまた驚いた。てっきり(A)を右寄りと断じて絶版を迫る左翼系の本かと思っていたら、(A)よりも右派で(A)よりもっとはっきり国家の誇りを主張せよという論調だった。大局的に見れば(A)は(B)の味方のはずだが、枝葉末節に誤りがあるとして(A)を徹底的に叩きのめしている。例えば天皇は昔「大王(おおきみ)」と呼ばれていたという(A)の記述に、「天王(てんのう)」と呼ばれたはずと(B)は噛み付いている。学界で論争中の話らしい。こういう行動をとる誇り高い愚かな人がこの世の中には時々居る。「イチロー!」と応援している米人を、日本人の一人として共感をもって一緒に応援すればいいのに、応援の発音とアクセントがおかしいと非難するようなものだ。
(B)は私の求める(A)の批判本ではなかったので、八重洲ブックセンタに行って他の批判本を探してみたが無くて、しかし韓国と中国の批判文が(反論とともに)掲載されている(C)を買ってしまった。両論をみると、これは教科書の方がマトモで、韓国・中国の批判の方がヒステリックである。検定の前後の対比表もあるが、行き過ぎた国家主義など元々無いからその検定修正もない。こんなマトモな教科書がなぜ非難されるのか? それは出だしからして「新しい歴史教科書をつくる会」などを結成して、従来の歴史教科書は偏向しているからそれを正すのだと大々的にPRしたから、内容を読みもしない人々を巻き込んで袋叩きに遭ったのであって、黙ってやれば誰も文句の付けようがなかったはずだ。戦術の誤りか?
しかしよくよく事情を理解するうちに、素晴らしい戦術だったことに気付いた。何でも今の歴史教科書に、朝鮮戦争は北朝鮮の侵攻から始まったと書いてある教科書は一冊もなく、スターリンの暴政は個人的な誤りで主義体制の問題ではないと言う教科書が大半なのだそうだ。なぜかというと、文部省とは関係ない大阪の同和団体が歴史教科書を採点する「ウラ検定」が教育委員会に猛威を振るい、人民抑圧、権力横暴、資本主義の悪の視点から書いた本でないと現実問題として教科書として採用して貰えないらしい。だから教科書会社は拡販のためにはこれに迎合することが必須だとのこと。「新しい歴史教科書」などは、これからだが最も売れ行きの悪い教科書に違いない。とすれば今回私が購入したようにモノズキな人に買ってもらう市販しか道はない。そのためには良くも悪くも評判になる必要があり、敢えて敵役としての登場を狙ったのではないか。そうならば、作戦は見事に適中し(A)はベストセラに乗る勢いを得ただけでなく、(B)(C)のような本までバカ売れしてしまった。
韓国・中国のイチャモンに対応するには次の方法がよいと思う。「成る程、ご意見有難う。そちらにもこちらにも意見があるようだから、ひとつ合同委員会を作って、双方の教科書を俎上に載せてお互いに検討し、将来の友好関係の基礎を築きましょうよ」と言えばよいと思うのだが。
まあ心配することはないさ。世のオピニオンリーダになるほどの人は、偏向教員に偏向教科書で教育されても、物心つく頃にはマトモな判断が出来るようになるし、教科書が立派でも偏向する人は結局偏向するさ。以上