うつせみ 

1997年 7月 1日

                 香港

  BSで香港返還式典を見た。私は早々に寝てしまったが、ワイフは迷いつつ「滅多にないことだから」と午前2時まで見ていたそうでご苦労なことである。海軍基地でのパレードを見ていて、東洋にスコットランドのバグパイプがあることにふと違和感を感じた。豪雨の中でのパレードは、テレビで見た神宮競技場での学徒動員の出陣式の有名な画面を連想させた。豪雨の中を一糸乱れぬ行進、無表情な参加者、これらは全く同じだが、モノクロとカラー程度の差があった。敗色濃い死地に赴くのと、名誉ある撤退との差を無視しては両方から叱られそうだが。

 返還前の香港を見ておきたいと、1994年に家族一同で観光に行ったのが唯一の香港の経験である。結婚30年のダイヤモンド婚だったから香港なら安いかと思って行ったという理由もあった。丁度従来の香港上海銀行に対抗して新しく進出してきた中国銀行が通貨を発行した時期で、中国銀行の前に長蛇の列があった。英国領だから英語で旅行できるのかと思っていたら大間違いで、Singaporeとは大違いで空港のタクシーから英語が怪しかったし、かなり立派な店構えのレストランに入っても英語のメニューは無かった。寺院で線香を焚きながら熱心にお祈りする人達を見て、香港は中国なのだという大発見をした。98%は中国人だという。その頭でバグパイプの映像を見たから違和感を感じたのである。やはりバグパイプは香港には似合わない。

 二三日前に香港出身のアグネス・チャンがコメントを求められて、「植民地返還を喜ばなければいけないのですが、考えてみると良いことも色々してくれたという思いがあって、嬉しくもあり不安でもあります。」と言っていた。昨夜のBSでも高嶋解説委員の紹介によると、香港での世論調査で英国の統治を採点したら67点、「英国統治が無かったら今ほど発展したか?」には75%がNoと答えたという。阿片戦争も領土割譲も怪しからぬ次第だが、これほどうまく経営された植民地が世界史上かってあっただろうか。お隣のマカオと対比しても勝負は明白である。英国が阿片貿易の基地に使いやがて割譲される前の香港は何ひとつ無い貧相な孤島だったというではないか。無関税の中継貿易港からスタートして、輸出額の8割は香港製品が占める軽工業センタを築き上げた功績は多としなければなるまい。大陸に共産化の嵐が吹き荒れた時、難民の流入は構造的な問題を引き起こした。一時は香港でも人民政府が出来かかったし、後に文化革命の際にも騒動があったが、いずれも英国が武力で押え込んだ。動機は別としても香港のためにはこれらも結果オーライの善政であったと言える。

 大英帝国華やかなりし世界大戦前の英国に駐在していた親父の言によれば、「英国の国家の意思は汚いが遂行する英国民は紳士、日本の国家の意思は立派だが遂行する日本国民が駄目。だから日本の植民地経営はうまくいかなかった。」と言っていた。

 一方「一国二制度」を考え出した登(+おおざと)小平氏は偉い。租借期限が切れる新界の返還を機に、割譲した香港島と九龍半島まで武力ででも取り戻すという姿勢を一方で見せながら、他方では50年間は体制を変えないという提案をして、13年前にThatcher政権の合意を取り付けた。こういうスケールの大きい提案をしてみたいものだ。日本人が外人に対して折衝が下手な典型例として、「これをやってくれないと我々はこんなに困る、困っている、何とかしてくれ」というお願い折衝がある。日本人仲間だと「困っている」と言われると何とかしなければならぬ気になるが、国際的には「ああそうかい、気の毒だねえ」で終わってしまう。相手の損得を見透かして妥協点を探る中で自己の利益を最大化していく折衝は村社会で育った日本人は不得手なのだが、香港返還の折衝などは分かり易い良いお手本である。

 周知のように資本主義は民主政治と不離一体である。そうでないと権力者が汚職に走り社会的な崩壊に至る。しかし天安門事件と民主化は矛盾する。この辺りをどう綱渡りしていくのか、中国指導者の腕の見せ所であろう。2-3年経ったらまた行ってみよう。            以上