うつせみ
1999年 9月12日

              渋滞の科学

 数週間前の新聞に次のような記事があった。平行する2車線が自然渋滞して同程度に前進している場合に、自車が他車線の車を追い抜いている時間が三十数秒(正確な数字は忘れた)ある時、他車線の車が自車を追い越していく時間が四十数秒あるというシミュレーションが最近発表されたとのことだった。このため多くの人は自車線は損をしているから出来れば車線変更したいと感じると書いてあり、この時間差の理由は「抜く時は一気に抜くから」という解説だった。これを科学的に言うとどういうことになるのだろうか、旅のつれづれに思考実験してみた。

 こういう自然渋滞は土日の中央高速でよく遭遇するから、「2車線が同程度に前進している時には自車線を不利と感じる」という現象は認識していた。しかし私はこれは心理的錯覚だと思っていた。他車線の車を追い抜く時には前方を注視して運転するが、自車を追い抜いていく他車線の車はいまいましい気持ちで1台1台見送るから印象の強さが全然違う。それに金を借りたことより貸したことを忘れ難いのと同様に、抜いたことより抜かれたことをよく記憶する。だから自分が損していると感じ易いのだと思っていた。しかし記事によれば時間差まであるという。同程度に前進しているのなら抜くのも抜かれるのも同程度の時間ではないのか?

 自車線が動き始めて10秒間に50m前進し他車線に止っている10台の車を抜いたとしよう。次の瞬間他車線が動き始め、やはり10秒間で50m進み10台抜いたとする。もし他車線の車が皆同時に同一速度・同一加速度で動くと仮定すれば、止っている自車が追い抜かれる時間は10秒であり、時間差は生じない。無意識のうちにこういう条件を仮定していたから記事の時間差が不思議に思えたのだ。

 実際には止った車が動き出す時、車間距離を変えずに同時に動くことはあり得ず、前の車が動いて車間距離があいてから次の車が動く。例えば1秒遅れで同一加速度・同一速度で追随するとすれば、10台に追い抜かれ終わるまでには20秒かかる。つまり自車線と他車線が同じ動きをしても、抜く時には10秒、抜かれる時には20秒掛かるという計算である。これを「抜く時は一気に抜くから」と表現したのだとすれば恐れ入る他はないが。

 因みにこういう場合の実戦上の私の知恵の一つは、定期バス・トラックが多い方の車線で我慢していると少し速い可能性があるということだ。

 そもそも「交通集中による自然渋滞」はなぜ起こるのか? 今度は1車線だけで考えよう。
    交通量T = 速度S / 車両間隔D = 単位時間に通過する台数
    車両間隔D = 車長 + 車間距離
交通量Tには道路によっておよその最大値があり、高速道路で30m間隔で100km/hで飛ばせば(あまり推奨できる仮定ではないが)Tは毎時3300台、毎秒0.9台となる。こういう飽和に近い形で車が流れている時、トンネル、上り坂、景観の良い場所、反対車線の事故現場(見物渋滞)、パトカー(パトカー渋滞)などで速度が若干でも低下すると渋滞が発生する。例えば90km/hに落ちれば交通量は毎時3000台となり、後から毎時3300台押し寄せてくれば道路上のどこかで詰まってしまう。これが渋滞である。合流点では車の数が増えて飽和交通量を超えるかも知れないが、超えなくても合流を警戒して速度を落とせば渋滞の原因となる。

 「鶴川大橋を頭に自然渋滞10km」というような時に、渋滞の先頭は一体何をしているのか、サッサと進めば皆が助かるのに、と不思議に思う人も多い。渋滞で車両間隔Dが5mに縮まったとすると、交通量T = 毎時3300台を実現するための速度Sは17km/hである。つまり鶴川大橋から先は30m間隔で100km/hで流れていても、鶴川大橋までは5m間隔なら17km/hで同一交通量である。渋滞17kmを抜けるのに60分というのはよく経験する値である。渋滞は個々の車にとっては時間が掛かって大変だが、マクロシステム的に見れば交通量一定の連続的で安定した状態である。

 自然渋滞を防止するには首都高の入口閉鎖のような流入制限しかない。或いは公共のために犠牲的精神で車間距離を詰め速度を上げるか。 以上