うつせみ 
1995年 6月 16日
             脚線美

 朝の通勤時間には、小田急本線の大変な混み具合をよそに小田急多摩線 (唐木田−多摩センター−新百合ケ丘)では、乗客のほぼ全員が座れる程 度にすいている。今年の正月から、多摩線の私が座る車両に時々素敵な美 人OLが乗るようになり、朝の秘かな楽しみになっていた。黒や茶のロン グブーツを少なくとも3足(高いのだろうに)持っていて、コートやスカ ートとのコーディネーションのセンスが光っていた。NHKの英会話テキ ストをひろげてイヤフォンを耳にしていることが多かった。多摩ニュータ ウンの新興住宅地に山の手から移り住んだお嬢さんの風情があった。

 私は美人に関心がある方だと思うが、これは私の鼻の下が長い訳ではな くて、人であれ自然であれ美しいものへの憧憬が人一倍強い芸術家的一面 の故である。そう思っているのは自分だけであろうか。

 梅の便りを聞き始めた頃、彼女のスカート丈が少し短くなりハーフブー ツになった。アレーッ? 相当太い大根足だったのである。これは大いに 幻滅であった。私は脚の形に敏感である。中学・高校で私は陸上競技(短 距離・ジャンプ)をやっていた。スタートラインに並んだ時地元の顔振れ なら、「この組み合わせなら俺は3位か4位、××を前半で引き離して3 位に入れば大成功」と計算できる。他流試合だと相手の脚を見て作戦を立 てた。足首と膝の上の形がポイントである。

 脚の形は身体的性能を表す。天分もあるが努力でもどうにでもなり得る 点で顔かたちとは違う。だから私は自分の脚には責任を持っているつもり である。あまりご披露の機会がなくて残念ではあるが。

 男性の脚は普通は見えないが、女性は幸か不幸か丸見えの場合が多い。 丸見えどころか丸出しでセールスポイントにしている女性も多い。サンフラ ンシスコのユニオンスクェアの近くに夜な夜な立つ特別な商売の女性が着 用しているような服装で普通のOLが通勤してくれるのだから、日本は真 に平和で安全な国である。因みにそういう女性に美人はあまり見かけない。 我々の商売でも機能で売れなければ価格で売るとか、セールスポイントを 努めて鮮明にしなければならないことを想起させる。それにしても多摩線 の彼女は折角上品な美人に生まれたのに、箱入り娘として育ってしまいス ポーツなどはほとんどやらないのだろうか。

 桜のニュースを聞く頃、コートを脱いだ彼女がパンプスになったのを見 て私は仰天した。ハーフブーツ姿で大根足と断定したのだがパンプスでみ ると少し太目ながら足首の引き締まった見事なスポーツ脚であった。

 いや人をよく知らないで知ったつもりになるとは恐ろしいことだ。一面 しか見ていないのに何の役にも立たぬ駄目な奴と速断してしまった人が、 実は意外な異才の持主だったりすることはよくある話である。その逆もあ る。会社員も若い頃は大勢が仕事ぶりや性格を見ており、俎上に載ること も多いから、誤った評価や人事が行われることは少ないが、上位職になる ほど評価者が限られるし、仕事を一緒にしたことが少ない評価者の確率も 増えるから、一面的な評価だけで実態以上にあるいは以下に評価されてし まうリスクが増大する。「評価は天に任せる」ことは美しいが、欧米流の Visible化努力も上位職にはある程度必要と考えた方がよい。そう頭では 分かってはいても、自然にやれる人と拘ってやれない人が居るのは現実で はある。評価の側に立つ人はこの点を考慮して注意深くなければならない。 しかしどんなに評判の悪い人でも、長所を見つけよう、どこかにあるはず だ、と努力して後悔した経験はない。結論として多摩線の彼女はハーフブ ーツだけは履くべきではなかったのだ。

 暖かくなるにつれて彼女のスカートは更に短くなり、太目ではあるが高 性能を思わせる脚線美が出現し乗客の視線を集めた。

 しかし残念ながら五月連休を境にバッタリ彼女は姿を見せなくなってし まった。お嫁にでも行ったのだろうか、それとも難しい原書を読んでいる かと思うと時々チラチラ目を走らせる変なおじさんの存在に気付いて通勤 車両を変えてしまったのだろうか。以上