今年は夾竹桃が美しい。わが家の庭の一角にもピンクの花が多数咲き誇 っている。どうしてもここに夾竹桃が欲しいと庭師に設計書を示して要求 したので、手持ちが無かった庭師がOEMで調達してまで植えてくれたもの である。中央高速の甲府付近でも赤・白・黄の夾竹桃が見事である。
今年の夾竹桃が美しいのは酷暑のおかげであろう。ジリジリと照りつけ る夏の日差しに立ち向かうように咲く姿が、私の人生観に合って共感を覚 える。昔は私自身が夾竹桃のように夏のエネルギーを体一杯に吸収して勢 を得る実感があったのだが、年齢で体力が衰えたのか空調で過ごす夏にな ったからか、近年では暑さはやはりこたえる。
Silicon Valleyに咲く夾竹桃はVenture会社の活気である。San Fran- cisco郊外の瀟洒な邸宅に咲く夾竹桃は豊かな生活の幸せである。Florida のスペイン遺跡に咲く夾竹桃は冒険者達の野心である。Niceに近い別荘地 に咲く夾竹桃は洗練された文化の香である。
夾竹桃の原産地は印度なのだそうである。本によっては「印度・地中海 原産」とある。印度や地中海の太陽の輝きが忍ばれる異国情緒の花である。 日本にいつ頃入ってきたか知らないが、西南戦争の官軍が夾竹桃を切り揃 えた箸で食事したら全員が毒に当たったという記録があるそうである。
昔小柳ルミ子が歌っていた「ふるさと」という歌は夾竹桃が主題であっ た。大分流行ったのだが、今はCDもカラオケも無い。都会で恋に破れた 女性が夏休みに今は生家もない夾竹桃の咲く故郷を徘徊して幼馴染みの男 性と会い、夾竹桃に力づけられるというストーリーであった。私は男だか らこの通りの経験はないが、でもよく判るし共感が持てるから、小柳ルミ 子の故郷だという博多を脳裏に描きながら暗唱してしまった。今でも次の 一節は鮮明に記憶に残る。
夾竹桃の花が咲く 故郷には家もなく さまよい行けば 街角に 友達の笑顔 陽に焼けてちっとも変わらない 大きな手で握手して...
夏の炎天に向かって咲く夾竹桃は、人生に立ち向かう勇気を人に与えてく れるものである。
怒涛もて満ちる潮や夾竹桃 岡田貞峰
この句は海辺の庭に咲く夾竹桃であろう。海から怒涛が押し寄せ、満ちて くる潮にも敢然と立ちはだかる夾竹桃の勢いを感じる。いやもしかして、 夾竹桃の茂みが風で怒涛のように波打ったのだろうか。そのためには相当 大きな茂みでなければならないが、日本ではそんな大きな茂みを夾竹桃に 許容する土地はないから、やはり海辺と解釈することとしよう。