うつせみ
1999年 3月20日

            モノ作り主義

 日経ビジネス誌にSoftbank孫氏の言葉として「もう「製造業は永遠なり」ではない」と大見出しが躍っていた。メーカ幹部に比較的気を使う孫氏がそんなことを言いうはずがないと不思議に思ったら、本文には「日本の経営者はインタ−ネットの事業性の認識で遅れている。もう「製造業は永遠なり」などと言っている場合ではないでしょう」と言ったと記述されており、その一部を記者がショック療法を狙って大見出しにしたらしいことが読み取れて納得した。英語の方がものを考えやすいという山本英孝氏は、モノ作り主義のことをFabricismという造語で呼ぶことにしたそうだ。Fabricationの語源は硬い材料を扱うラテン語だと辞書にあった。

 私は会社員生活の前半を作業着を着て工場で過ごしたから、モノ作り主義の優等生ではなかったもののその長短は体得しているつもりだ。自ら関係した製造ラインが済々と流れると、価値創造が具物的に見えて社会貢献した気分になったものだ。しかし最近はインターネットを初めこのモノ作りとは無関係な世界が羽振りがいい。MicrosoftやYahooの隆盛はモノ作りではないし、IntelやCiscoやSunの好調をモノ作りというなら、私が工場で習ったモノ作りの定義を拡張しなければならない。実はこの拡張部分にこそこれからの日本のメーカの道があるのではないかと思うのである。

 株の売買が千円で成立するためには、千円なら売った方が得と考える人と、買った方が得と考える人の立場の相違が必要である。同様にラーメン1杯千円の売買も、千円以下で作れるから売れば儲かる人と、千円以下では作れないし他からも同等のものは買えない人が居るから成り立つ。モノ作りは本質的に、他人に容易には出来ない何らかの障害がないと商売にならない。タバコや電力のような法律による参入制限、石油コンビナートのような土地と設備資金調達の困難、大型発電機のような実績を作る困難、自動車のような販売サービス網支配による参入困難、など色々な例がある中で、メーカとしてはやはり技術・品質・知的財産権と言いたくなる。

 Dynabookを初めて出した時の東芝青梅工場の表面実装技術は誰にも真似出来ないものだった。しかしマツダランプ時代と違って、こういうノウハウは製造設備メーカや部品メーカの製品に瞬く間に吸収され、第三者が設備と部品を購入すれば同等なものがやがて出来るようになる。それでもリードを保つには先へ先へと新技術を開発し、新設備を開発導入して常に先頭にある続けることが必要となる。

 特許で独占的な地位を確保したいのだが、いわゆる「真面目な」特許はあまり頼りにならない。Xeroxの電子写真複写の特許は難攻不落に見えたが、Canonが対抗技術を開発してしまった。インスタントラーメンは日清食品に特許があったはずだが抑止力にならなかった。CanonのBubble Jet特許はまだ有効に機能している。恐いのは「不真面目な」特許である。

 最近ソニーが「Vio L Series」というPCを出した。広がるメール需要に焦点を合わせ、PDA風のメールソフト立ち上げ専用のボタンが付いていて、またメール到着を特別なランプで知らせる。ボタンの方は特許にはなるまいが、ランプが特許になったりするとこれは難物である。

 もっと恐いのが市場先行開発-->De Facto標準化-->開発投資と著作権保護に依存した市場支配・参入制限である。上記のIntel, Sun, Ciscoはみなこれに該当する。工業が未発達の段階では通用したモノ作りで儲かる構造が、工業社会の高度な発達のために短期間しか通用しなくなり、市場開拓を伴うモノ作りが必須となってきた。伝統的なモノ作りの行動規範が大きく変化し、或る局面では反対のことをしなければならない。松下電器に比べてソニー、トヨタに比べてホンダは、この面で成功している。

 日本の終身雇用制と年功序列は、暖かい制度である反面、過去に成功した人がリーダとなるため、行動規範の変革期には一拍遅れがちである。大会社の幹部にインターネットを使いこなしている人は居ないだろうというのが孫氏の言い分とすれば、それは痛いところを突いている。インターネットで商売するところまで飛ばなくても、モノ作り自体が大きく変わってきたことに気付くのが遅れると致命傷になる。         以上