New Yorkの休日
ワイフと休暇で訪れた久し振りのNew Yorkは活気があり、エキサイティングな街であった。スリやタカリのおそれも以前ほどは感じなかった。
ワイフはBroadwayのミュージカルにはまってしまった。まずSmoky Joe's Cafeという9人の歌比べのようなミュージカルは、筋はろくに無かったが、黒人の歌の上手さと白人女性の歌とダンスで楽しませた。
もう15年も続いているというCatsを初めて見た。歌もダンスも、出演者が猫になりきった仕草もさすがにプロだった。日本のテレビで島田歌穂の歌で聞いたCatsの主題歌Memoryが、実は大変悲しい歌であることも初めて知った。皆から疎外される年老いた雌猫が「私もその頃は美しかった」と若い頃をしみじみと歌って昇天していった。感動して早速楽譜とCDを買い求めた。出演者全員がケバケバのついた全身タイツで出るのだが、一人の女性出演者だけはモデル的なスタイルを誇示するように毛のない薄手のタイツでの演技で会場を魅了し、フィナーレでも男性群の喝采を浴びた。ワイフの分析によると、Catsの成功の原因は広い年齢層の獲得だという。子供には猫の仕草の演技、男性にはお色気、女性には華やかさ、年寄りにはMemoryで得点を稼ぎ、出演者が通路を這い回り会場全体を舞台にして観客全員を巻き込んでしまう。日本のCatsはどうなのだろうか。
五番街のTiffanyや47丁目のDiamond Rowでは、どうせ大したものを買う気もないのにウィンドウを一つ一つ丁寧に見て歩くワイフに付き合った。Computer Cityではワイフに付き合わせたからお相子である。ワイフは宝飾店で声を掛けられると面倒と英語が分からぬふりをして見て回るのだが、或る店ではニコニコした女店員が"Good morning. How are you, today ?"と爽やかに話し掛けてきて、ついうっかり"Fine. Thank you."とaの音も鮮やかに返事してしまった。
昔は観光コースに入っていなかったEllis島には私も初めて行った。欧州からの移民が最初に上げられた移民局の島である。Remedy社のJohn Goldstein氏に或る時「独系ですか?」と聞いたら、「先祖はロシア系だが、そんな名前ではこの国では苦労するからとEllis島で一団の大半がGoldsteinに改名させられてしまったと聞いている。」とのことだった。着の身着のままで到着した移民や、終戦後の日本そっくりの入植後の貧しい生活の写真を見て心に感じるものがあった。よほど食い詰めた人は別として、欧州でもやる気があって健康な人達がこの国にやってきたに違いない。その血が脈々と今Venture Businessに受け継がれている。
Central Parkでは愛想のいいトルコ人女性の御者に誘われて馬車で一巡した。ドイツに出稼ぎに行くと二流国民扱いされるが、米国では大体は差別されないから良い国だと流暢な英語で話した。Metropolitan Museum of Artでは、私の好きな印象派の有名な油絵の原画を幾つも初めて見て感動しつつ、「いや、これ位は俺でも描ける」を連発してワイフを呆れさせた。オリジナルで描くのは無理でも原画を前にして模写くらいなら出来そうだ。日本文化のコーナでは歌麻呂の春画48手が堂々と展示してあり仰天した。
韓国人の進出が目立つ。五・六番街32丁目辺りにはハングル文字の看板が並び、韓国人に占領された地域のようだった。店でアンニョンハシムニカと挨拶されたワイフは少しムッとした。
我々も含めて観光客はなぜEmpire State Buildingに上るのか。World Trade Centerの方が高いし、景色が良いし、エレベータが便利なのに。ワイフの説は、Empire State Buildingでtall, taller tallestという形容詞の活用を習った世代がまだ多いからだという。World Trade Centerの屋上に色々なアンテナがあったので説明員に聞いたが要領を得なかった。避雷針がテッペンについた漏斗型マイクロ波アンテナを指して曰く、「これは避雷針だよ。雷をこのジョウゴで受けて地上に導くんだ。」 この一言でこの男に質問していた愚を知った。
以前インディアン居留地をドライブして血が騒いだワイフは、自分の先祖はインディアンかも知れないと言っていたが、New Yorkを見たワイフは自分の祖先はNew Yorkerかも知れないと言い始めた。 以上