御神渡
初めて諏訪湖の御神渡(おみわたり)を見た。下駄スケート発祥の石碑もある諏訪湖では極寒の夜、湖面の氷は収縮し割れ目が生じるがそれもすぐ凍る。温度が上がると氷は膨張し轟音と共に弱い所で折れて逆V字形に立ち上がる。その氷の造形が蛇行しながらも湖面を何故か南北に走る。
諏訪湖の湖岸には、全国1万数千社の諏訪神社の本社である4つの諏訪大社があって一体とされている。南岸の茅野市には上社前宮と上社本宮がある。もともとは前宮が唯一の社で、政教一体の豪族の館であったが、或る時紛争で大虐殺が行われたため、その場所を忌み嫌って近くに本宮を建立したと歴史にある。北岸の下諏訪町には下社秋宮と下社春宮がある。文献確認のない勝手な私の想像では、それぞれの部落が勝手に作ってしまった分社が春秋を分け合い、中山道に接する甲州街道終点の温泉宿という地の利を得て賑わい、農漁業部落の上社より栄えてしまったのだと思う。対立時代を経て明治以降一体運営になっている。そこでこの御神渡だが、上社の男神が下社の女神を訪れた跡とされ、沿岸の別の神社の宮司が慎重に観察して、「これは御神渡である」と認定しその形から1年の吉凶を占う。作柄は相関がありそうだ。源氏物語などの通い婚を思い出させる。
摩周湖や Lake Tahoeで同じ現象は起こらないのだろうか。神様の通い婚のロマンのお陰で諏訪湖だけが有名なのだろうか。もし諏訪湖特有の現象ならば恐らくその理由は、埋まってしまって水深が最大7mしかない湖の熱容量が小さいこと、応力を吸収する渚がなくほぼ堤であること、寒天製造が特産になるほど温度変化が大きいこと、などが原因と推察される。
この所暖冬続きでそもそも諏訪湖がろくに凍結せず、従って御神渡も何年も観測されなかったが、今年は凍結した。1月中旬に一度御神渡現象が観測されたが氷の立ち上がりが小さかったので御神渡とは認定されなかった。1月31日に御神渡と認定されたとテレビで報道されたので、その日は行けなかったが翌朝諏訪湖畔に行ってみた。
諏訪湖畔というと中央本線の走る東岸の温泉街のイメージが強いので、あまり考えも無く諏訪湖に注ぐ宮川沿いに北上して東岸に回り込む積もりで右折レーンに入ったが、湖面をみると東岸はまっ平らに見えたので、赤信号の交差点内で急遽レーンを変えて左折したのが当たった。西岸に近い所に路上駐車の列があったので我々も倣う。
湖面に氷砕の列が南北に蛇行している。恐がるワイフを氷上に連れ出して、時々不気味に軋み人が動くと微妙に揺れる氷上をフォトスポットを求めて歩いてみた。所によっては50cmほど氷が立ち上がっている。薄青い氷面の彼方に北アルプスの純白の常念岳が光る構図が気に入って36枚のフィルムをあらかた使ってしまったが、結果的に良い写真が撮れた。オリンピックのマークを首から下げた外人が数人テレビカメラを構えていたので聞いてみたらNew Yorkから来たという。珍しい現象と聞いて長野辺りから2時間もかけてやってきたに違いない。由来は分かっているのかな。
考えてみたら湖面に雪が無かった。1月15日の大雪以前に凍結していたら雪の布団で温度変化が緩和され御神渡は起こらなかったのではないか。
諏訪人は日本海から糸魚川を溯った大陸人と言われ、出雲文化とも関わる独特の文化を持つ。諏訪湖は古事記に「州羽海」と言及されている歴史の古い湖である。創成期の東京大学に居たナウマン象のNaumann教授が名付けたというFossa Magna(大溝・大断層)と呼ばれる地帯の西端にできた断層湖である。これより西はユーラシアプレートになる。秩父山地より東の日本は、Los Angeles以西の太平洋プレートを北回りで迂回したSan Francisco以東の北米プレートに乗っている。二つのプレートの責めぎ合いでユーラシア側に出来た3本の皺が北・中央・南アルプスである。
歴史的には諏訪湖はもっと広かったのだが、段々土砂で埋まり、更に江戸時代には干拓の代わりに天竜川への流出口を掘り下げて湖面を下げ田畑の面積を稼いだため更に湖面は狭まり、浮き城のはずだった高島城は陸中にせり上がった。近年かなり都市化したがまだまだ自然は豊かである。
御神渡浮かれし神の千鳥足 以上