うつせみ 
1998年 4月12日

              御柱祭

 「おんばしらまつり」といって諏訪大社に伝わる千二百年の伝統があるお祭である。テレビの全国放送でも扱ったので、すっかり有名になってしまった。数え年で7年、満で6年に一度、寅年と申年に行われる。

 今年は寅年で、諏訪湖南岸にある上社の本宮・前宮の四隅に立てる8本の御柱を山から引き出す「山曳き」が4月最初の週末にあり、第2週末には湖北岸の下社の春宮・秋宮の8本の御柱の山曳きがあった。町中を曳く「里曳き」と、いよいよ四隅に立てる「曳建て」は1ヶ月後である。ワイフと私にとっては前回に引き続いて2度目の見学となる。

 今回も樅の木の伐採から見てやろうと狙っていたのだが、上社の山に樅の大木が払底したとかで、下社の伐採場所であるずっと北の東俣国有林で史上初めて上社の分も伐採して、トラックで上社の経路に運び込んだ。雪深い場所でかつ大雪に見舞われて予定が二転三転し、伐採の見学は割愛せざるを得なかった。しかしそのうちに御柱もプラスチック製になるのではないかと恐れていたが、この道が開けてあと一世紀は大丈夫であろう。

3月29日に上社山曳きのルートである御柱街道を下ってみると、道路脇に所々に1本ずつ8本の御柱が置いてあった。国有林から伐採してきたお陰で前回よりも格段に大きい。上社特有のものだが、横たわった御柱の根元と先端に溝を掘って仰角45度のツノを左右に合計4本差し込む。これをメドデコと言って人が鈴なりに乗る足場が作られる。この工作を始めた部落もあり、まだ2-3人が見学に来ただけの部落もあった。

 上社山曳きは4月4日の土曜に見た。ハイライトはメドデコ一杯に人が乗ったまま30mほどの坂を引き降ろす「木落し」と、雪解けの水が冷たい数十mの宮川を渡る「川越し」である。上社では部落代表がくじで担当の柱を決める。一番大きく名誉ある本宮一の柱は今回は茅野・宮川が引いた。例年より格段に大きい御柱を扱い兼ねて苦労したようだ。二番目に大きい前宮一の柱の富士見・金澤は見事な綱さばきであった。

 次の土曜4月11日は下社の山曳きに出掛けた。下諏訪駅から小一時間登った所にある100mほどの急坂を落とす「木落し」が下社山曳きのハイライトである。午後1時に当日最初の木落しの予定と聞いていたが、どうせ遅れるに決まっていると、釈迦堂で満開の桃の花を鑑賞し、須玉の南にある千年近い桜の古木「神代桜」の満開を楽しんでから来たものだから遅くなった。あと少しで現場に到着という場所で我々の直前で警察の道路規制に合ってしまった。「観客の皆様の安全を考慮して通行止めとします。第1回の木落しで観客がかなり帰るから、出た人数分入れます。」という。

 慎重派のワイフは待とうと言ったが、懐疑派の私は全学連の授業料値上げ反対デモ以来、警官の指示に従って得をした覚えがないので、荷駄上げ用の垂直に近いモノレールを頼りにヤブコギで急坂を登る人の列に加わった。幸い警官からは死角になっている。下を振り向いて芥川竜之介の「蜘蛛の糸」を思い出した。山の上は畑になっていて、道もあるので安心して進んでいったが、途中で行き止まりになってしまった。ヤブコギで下ることを試みて一度目は絶壁に達して失敗、二度目に選んだ場所で下の田んぼに下ることに成功し、もう一回急坂を登って木落しの坂の上に出た。幸いワイフも私も田舎育ちで、道のない落ち葉の積もった急斜面を登り下りするなどはガキの頃に鍛えてあるから上手いものだが、最近の若い人の不器用といったらない。結局警察のお陰で標高差100mほどをヤブコギで登って下りてまた登った。駅から2時間歩いて現地に到着したことになる。

 午後1時予定の最初の木落しが結局4時半に遅れた。2本目は、前回止め綱が切れて氏子をなぎ倒して落ち死者まで出した春宮一の柱で、午後6時に今度は済々と一番上手に落ちた。下社では部落担当の御柱が明治以来固定されているから、前回の大失敗の挽回という意識があったに違いない。駅まで歩く1時間のうちに日がとっぷりと暮れ、春の満月が美しかった。

 御柱は町の入口に安置された。神社まで町を曳く「里曳き」と神社の四隅に建てる「曳き建て」は5月連休である。忙しいことだ。Web頁に写真数枚を掲げた。 club.infopepper.or.jp/~shigmats/festival/   以上