珊瑚
この秋で私共は結婚35年の珊瑚婚を迎えた。結婚前にも、学生時代以来日本がまだ貧しくて結婚しようにも出来なかった時期まで7年間も経過していたから、合計42年間も飽きもせず付き合って来たことになる。その間妻を恋う心がいささかも褪せることなくいつまでも恋人気分なのは、物事に飽き易く帰路は態々往路とは別の道を選ぶ私としては大変不思議なことでもあり、幸せなことでもある。不幸は(最近は無いが昔)銀座のクラブに行っても芸者に会っても一向に楽しめず、ワイフと一緒に居る方がよいと思ってしまったことだった。選択肢の中から私を伴侶に選んでくれて35年も苦労を共にしてくれたことへの感謝を込めて、先頃珊瑚のペンダントを贈った。還暦を過ぎても美しく装いたい気持ちに衰えはないらしく、少女のように喜んで珊瑚に合う洋服を探して出掛けて行った。
珊瑚婚という言い方に不慣れな方もあろう。結婚50年の金婚と、その半分の銀婚は常識だが、それ以外は若干議論の余地がある。というのも西洋の古くからの慣習を基に1937年に米国宝石協会が定義したリスト(仮にリストAとしよう)を、同協会が1948年に改訂(リストB)してしまったからである。改訂版に統一されるかと思いきや両方通用している。バレンタインのチョコレートと同様に販促手段としての利害があってのことに違いない。因みにA−B(A=Bなら一つだけ)の書式で書けば次のようになっている。この部分は奥方には内緒にしておく方が良い。
1年紙-時計 2年木綿-磁器 3年革-水晶/ガラス 4年絹-家電
5年木-銀食器 6年鉄-木 7年羊毛-文房具 8年青銅-レース 9年陶器-革
10年錫-ダイヤ 15年水晶-腕時計 20年磁器-プラチナ 25年銀
30年真珠−ダイヤ 35年珊瑚-翡翠 40年ルビー 45年サファイヤ
50年金 55年エメラルド 60年ダイヤ
さてその珊瑚だが、日本・中国・イタリアが細工物の名産地である。暖流の海に何百種類も繁茂する珊瑚の中で、宝石になる"Precious Coral"は日本で「本珊瑚」と呼ばれる種類に限られる。産地は地中海・台湾・中国・沖縄・土佐である。米インディアンがトルコ石細工で対照色に使う赤珊瑚はメキシコ湾産と聞くが値段も光沢も日本産の比ではない。 本珊瑚は色によって赤珊瑚、桃色珊瑚、白珊瑚と分かれ、紅珊瑚を加える人もいる。面白いことにAngel Skinと言って、幼児の頬のような淡いピンクを西洋では尊び、日本では赤が濃い方が高値である。誕生石では、世界的には3月はBlood Stone血石が主流だが、日本では珊瑚である。
7千年前の英国の石器時代の遺跡から珊瑚の装身具が出たのが最古という。地中海珊瑚が宝石の一種としてシルクロード経由で中国から仏教と共に日本に入ってきた。以来ずっと下って土佐沖で本珊瑚の採取が始まったのが19世紀初めで、明治になってから本格化した。上質の濃赤色の赤珊瑚が採れ「土佐珊瑚」または単に「土佐」の名で世界に流通した。何百米の海底から盲で採るために、重りを引きずって珊瑚をなぎ倒し底引き網で採取する。百年に1mmしか成長しないものをこうして採取したため、ほとんど枯渇したそうだ。確かに品不足と値上がりは著しい。10年前にワイフに買った球形珊瑚の指輪は少なくとも数倍には値上がりしている。地中海珊瑚も枯渇しているそうだが、なぜか土佐産より安い。専門家はすぐ分かるそうだが、素人目には3百万円の濃赤色土佐珊瑚の帯留めも、30万円の輸入ものも3千円の模造品も、うっかりすると区別が付き難い。
珊瑚は珊瑚虫という腔腸動物であることは常識である。満月の夜一斉に卵と精子を放出する映像も有名だが、こういう有性生殖の他にヒコバエのように隣に子孫を生やす無性生殖で群体を成長させる。保身のために体の周囲をパイプ状の炭酸カルシウム主体の石灰質で覆い多孔質の珊瑚を形成する。これを活かした多孔質の比較的安価な装身具もある。しかし新生の珊瑚虫は死滅した祖先の上にパイプを形成し、根元から石灰質を分泌して祖先の多孔を埋め、ムクで硬い枝を作り出す。これが宝石珊瑚である。
ともあれ珊瑚婚まではお蔭様で無事幸せにやってきた。土佐珊瑚の色を燃える血潮としてまだまだ頑張ろう。 以上