うつせみ
1996年 3月 31日

            春は来ぬ

 中央高速の春は遅い。内陸で標高が高いからである。3月23日/24日に八ケ岳に往復する沿道は梅が満開であった。枯れ木の中で真っ白に、あるいはピンクに、咲き誇っているのは春の訪れを表現して余りある。

 八ケ岳の阿弥陀岳 2,806mはまだ雪を被っているが、黒い岩が現れてきた。恐らく遥か北方の北アルプス白馬岳では馬の形の黒い岩が現れ、農家が苗シロ(だから「シロウマ」)作りを始めているに違いない。八ケ岳中腹千数百米はまだ雪と氷 の世界であったが、よく見ると池の氷も日当たりのよい北岸では既に水が見えている。林の中の雪 も少し前の粉雪状からザラメ状に変化しており、日の当たる場所ではそれがどんどん縮小している様子が分かる。沢水が溢れ勢いよく轟音を上げて流れている。

   雪解けの沢音激し鳥騒ぐ

 座禅草の姿を求めて林に分け入った。地面が雪に埋もれているのでまだ早いかと諦めかけた時、ワイフが声を上げた。ピンク色の高さ15cmほどの座禅草の包葉が出ていた。水芭蕉の親戚である。水芭蕉は、花と誤解される白い包葉の中に棍棒状の花軸があるが、座禅草は球形の花軸を仏僧、包葉を庵と見立ててその名が付けられている。だから包葉を仏炎包ともいう。包葉は雪よりも太陽熱を吸収し輻射熱で周囲の雪を融かす。座禅草を中心に直径50cmほど円形に雪が融けていた。春を感 じる一景である。

   残雪を融かし目覚めぬ座禅草

 さらに林の中を行くと、数カ所で座禅草が出ていた。包葉があるいは白く、あるいは緑っぽく、 またはワインカラーで、日当たりと日数の関係で様々な色があるのが面白い。冬落葉を貫き頭に被 ったまま立ち上がったものもあり、まだ落葉を少し持ち上げただけのものもある。腰を屈めて庵の 中を覗き込むと、可愛らしい球形の花軸が座禅僧のように鎮座まします。 水芭蕉が出るはずの辺りも探ってみたがまだ芽の兆しも無かった。

 松の根元に小さな胡桃(くるみ)の殻が沢山落ちていた。冬眠から目覚めた栗鼠(りす)が埋めておいた胡桃を食べた跡に違いない。

 昨秋大量に胡桃を拾った。足で踏んで果肉を除き、水洗して殻を乾かし、 金槌で割った。複雑に入り組んだ殻の中に詰まった実(植物学的には子葉)を楊子でせせり出した。当然粉々になってしまったので、擦り潰してケー キやあえものに使っ た。市販の胡桃は見事な形のまま取り出されているのを不思議に思って店で尋ねた。胡桃の殻は面対称になっている。その対称面で二つに割れば実がスッポリ取れるから、金槌で叩く位置を考える ように言われた。ウソツケ! ヤッテミナ、そううまくはいかないから。

 ところが栗鼠は見事に対称面で割っている。その秘密を表す証拠があった。対称面に沿って幅 2mm程の溝が掘られた殻が転がっていた。二つに割れた殻を貝合わせゲームのように復元してみると 、やはり 2mmの溝がある。 以前テレビで見たのだが、栗鼠は前足で胡桃を抱え込み口の前で縦方向に回転させていた。そうやって歯で殻に切れ目を入れるのであろう。胡桃の 殻の対称面を探し出すソフトを作れと言われたら出来るかどうか怪しいが、 栗鼠は見事にそれをやってのけている。それにしても栗鼠の歯の幅は 2mm なのだろうか。来年胡桃を拾ったら金槌ではなくナタで割ってみよう 。

 ワイフが妙なものを拾った。長さ 4-5cmの流線型の木の実のようなもので球部分は直径 2cmほどである。松毬(まつかさ)に似た材質だが流線型の松毬はない。ハタと気付いた。やはり松毬である。開いたウロコ状の部分を全てかじり捨てるとこういう形になる。何のために? これも栗鼠が 松の実を食べたに違いない。松の枝の下に同様な流線型が沢山落ちていた。

 辺りは春の日差しである。小鳥が活発に動き声高に鳴く。鳥の恋の季節が始まったのかも知れない。ゲラ(木つつき)が幹を動き回る。

   春光やひときわ高し鳥の声

\700の巣箱の工作セットを買ってきて組み立てた 。と言っても釘を打っただけである。立木にのぼり巣箱を結わえ付けた。紐を結ぶには両手が必要だから木のぼりの姿勢に無理が来る。さすがに翌日腰が痛くなった。

 春は来ぬ。春は来ぬ。