菅原洋一
昔々或る所に、正確に言えば昭和30年代に新宿歌舞伎町は西武新宿駅寄りに「ラ・セーヌ」という生演奏喫茶があった。貧乏学生の私にはあまり行ける所ではなかったが、やや裕福だったワイフはどうせ彼氏が払ったのだろうが頻繁に通ったらしい。今も音楽解説をしているモンティー本田が藤沢蘭子の司会をしていたという。その時幕間専門でいつも一着のカーキ色の服を着てシャンソンを歌っていた青年が居て、歌がうまいとは思いつつも名前など気にもしなかったが、後にヒット曲が出てから菅原洋一という名前を知ったとワイフはいう。私の好きな歌手の一人でもある。
私は頭脳労働をする時にはBackground Musicをかけることが多い。クラッシクファンには叱られそうだが、この目的には協奏曲やピアノ曲が音が透明でよい。Fischer Diskauや Elisabeth Schwarzkopfの歌曲や「悲愴」の優美な旋律も能率が上がる。歌謡曲では堀内孝雄やドリカムがいい。サーカスは一二曲聞くには良いがCD一枚聞いてしまうと疲れる。無意識に耳がハーモニーをチェックしているからだと思う。逆に歌に引き込まれてBackground Musicにならない、つまり仕事の能率が上がらない歌手か何人か居る。高橋真理子・伊東ゆかりと共に菅原洋一もその一人である。
今時菅原洋一のCDなどあまり見かけないが、或る時「菅原洋一Best Selection」という1994年のPolydorのCDを見つけ喜んで買って帰ったら、同じCDが自宅に既にあった。俺もいよいよボケたかとショックを食らい、丁度勉強し始めていたVisual C++で昔のIDS的な汎用データベースを自作し、季節日記やパソコンのディレクトリー整理と共に200枚余りのCDも登録した。歌手名でもCDタイトルでも何からでも索引できるから便利である。店頭でダブって衝動買いする事故はこれでは防げないが、幸いその後こういうことはない。2枚買ってしまったCDは八ヶ岳の山小屋と自宅に分けて両方でよく聞く。あまり頭を使わなくてもよい時に、今週の電子メイルは全部やっつけてしまった今のような時にである。 いつ頃の録音か書いてないが恐らくは全盛期の録音であろう。数年前よりも最近はむしろ少し良くなってきたが、CDでは顕著な高音の伸びが最近では聞けない。このCDを聞くと実にうまい歌手だったんだなあと思ってしまう。むしろ1曲だけ「ありがとうさよなら」をデュエットしているグラシェラ・スサーナの音程の怪しさが(例によって)目立つ。有り難うと言いつつ別れる山口洋子の詩が好きな曲だけに残念至極である。別れの前の夜を惜しむ二人を森田公一が作曲した「アマン」は、シルビアとデュエットしてこれは仲々良い。
菅原洋一のヒットソング「知りたくないの」「今日でお別れ」は共に、なかにし礼の作詩とは面白い。私はカラオケで同一人の前で二度と同じ歌は歌わないことを原則としている。但し忘却という都合の良いメカニズムには敢えて逆らわない。だから行き当たりばったりで選曲する。その伝で或る時東芝情報システムの幹部研修会の流れで年齢層を考えて「知りたくないの」を注文したまでは良かったのだが、少々酔っ払っていたためか、演奏がよく聞こえなかったからか、この易しい曲でメロメロになってしまったことがある。失点回復にほとんど同じメンバの別の機会で「今日でお別れ」を今度はちゃんと歌ったからよいことにしよう。
「忘れな草をあなたに」も好きだ。「...グサヲ」の「サ」の字は多分BかCくらいの音であろうが、これが奇麗に出せるかどうかで曲全体の価値が決まる。無理すれば2オクターブの私の声域内ではあるが、急に高くなるから奇麗には難しい。私は男性四部合唱ではバリトンで、前川清や玉置浩二の真似はできない。フランク永井の自殺未遂が無かったらもっと私の得意曲が増えていたはずなのに残念である。もっとも最近はカラオケもディジタル化されてキーまで調節できるマシンが多くなった。
CDでは最後に、越路吹雪の持ち歌だった3曲が「ラストダンスは私に」「ラ・ノヴィア」「愛の讃歌」と続く。越路節とは違う菅原節がそこにはあり、聞かせてくれる。「ラストダンス」では思わずルンバのステップを踏むがワイフは笑って相手にしてくれない。 以上