うつせみ
1999年10月11日

              高山祭

 伝統の高山祭を見てきた。3連休の中日は早起きして黒部第四ダムに行く積もりだったが、出発前に気になってWebで調べてみると、案の定関電バスは予約が無いと乗車が保証できないとあった。それで目的地を高山に切り替えた。数年前に訪問して以来2度目だが、独特の町の雰囲気が素晴らしいと思っていたからだ。長野道松本ICを下りた途端に渋滞が始まり、新しい安房トンネルでスムースに流れるまでに2.5時間を要した。

 休憩を兼ねて飛騨鍾乳洞に入り昼食を済ませた。いよいよ高山市に入る頃、一度高山祭を見たいわねとワイフが言う側から、頭上に「祭礼のため高山市街渋滞。シャトルバスのある駐車場へ」という矢印が見えた。半信半疑で矢印に従って駐車し、「何のお祭ですか?」と尋ねたが、非常識な質問に返答に窮していた。後で分かった所では、高山祭は曜日に拘わらず4月14-15日の日枝神社の「山王祭」と、10月9-10日の桜山八幡神社の「八幡祭」があり、それぞれの氏子の部落が用意する屋台が前者は12台、後者が11台(但し今年1台は修理中)出る。つまり高山市には合計23台の屋台がある。一部は市内の屋台会館に展示されていて我々も見たことがあるが、お祭でないと多数を見ることは出来ませんとのこと。

 シャトルバスで30万人の観光客に合流し鎮守の桜山八幡宮に来てみると、丁度1時からの屋台のカラクリ公演が終わって境内から人並みが流れ出る所だった。3台の華麗な屋台を見物はしたが残念に思って警備の人に聞くと、カラクリ屋台「布袋台」だけは出身部落の下一之町で3時からもう一度公演するという。ここまで来て見逃す手はなかろう。神社の下に並ぶその他の屋台を見て、古い町並みを徘徊した。ワイフは帽子を買った。旧制高校の手垢で貫禄のついた帽子を彷彿とさせるこげ茶色の婦人帽は、ドブロクから清酒を絞った木綿布の廃物利用だそうだ。奥床しく見えるか汚らしく見えるか二つに一つのリスクを負ってワイフはこれを買った。

 岐阜県は川の多い平野の美濃の国と、北アルプスの西側を含む山ばかりの飛騨の国とから成る。明治初年の廃藩置県で木更津県や足柄県が出来た時には岐阜市の南にある笠松を県都とする笠松県と飛騨県(⇒高山県)に分かれていた。飛騨山地中央の標高600米の盆地にある高山は律令制の時代から飛騨の国の中心で、国府や国分寺が置かれた。秀吉の部下として飛騨を支配した金森氏が徳川綱吉によって改易となってからは幕府直轄地となり、木材の供給地として栄えた。金森氏の高山藩時代に京都祇園祭の影響を色濃く受けて始まったのが、現在無形民族文化財の高山祭だという。そう言えば屋台が京都のものより小ぶりではあるが同根を感じさせる。有名な高山ではあるが人口は7万弱に過ぎない。

 公演の半時間前から現地に人込みが出来始め、我々もその中で辛抱した。正3時に屋台上で布袋様が動き始めた。と言っても頭部と足を音楽に合わせて動かし、全体を回転するだけである。しかしこの布袋様は顔の角度によって表情が変わる。正面から見ると福々しい笑顔である。このために十数本と見えた糸が操られている。やがて唐子(からこ)と呼ばれる男女2体の人形が登場し、5つのブランコを飛び伝った。ブランコが円筒で、それに植えられたフックが唐子を引っかけて回転し、次のブランコに足を引っ掛ける。そのブランコが回転すると唐子が身を反らし次のブランコに手を伸ばす。最後は男の子は布袋様に肩車の形で乗り移り、女の子も肩に下りた。不思議なことに布袋様に乗った両唐子が音楽に合わせて首を左右に振っている。これは伝統芸術には含まれていないおまけの芸で、無線操縦のモータが回っていると私は解釈したのだが、如何であろうか?

 そう言えばJohnnyという町角で跳びはねて踊る人形をご存知だろうか。どうせ糸で吊っているはずと思うのだが糸が見えない。ある時遂に種明かしを乞うつもりでこの人形を購入したら、横に糸を張れという説明と細い糸が出てきた。今度町角で見かけたら騙されまいぞ。こういうことがあるから自信はないが、高山の唐子の頭部は無線しか考え難い。

 笑みを湛える布袋様のお陰で遅くなってしまったが、思いがけず伝統芸能に出会えた一日であった。                以上