うつせみ
1999年 4月 4日

              淡墨桜

 昨日二分咲きの淡墨桜を見て感動してきた。「淡」は「あわい」で「うすい」という訓はないが、「うすずみざくら」と読む。昔は「薄墨桜」と書いたそうだが、大正11年に天然記念物になった際、文学的素養のある人が表記を変更したという。よくグラビアに紹介される名木で、通称樹齢1500年、幹の周り9.91m、枝張東西26.9 mの独立樹の彼岸桜である。岐阜県の根尾村という山奥にあり、直線距離ならあと40 kmで琵琶湖に達しようかという位置である。花が散り際に「淡い墨色を呈する」という。「薄墨」とは今ではほぼ死語だが、古語辞典には熟語も幾つか掲載されているから一般用語だったに違いない。要するにグレイである。

 新幹線なら岐阜羽島で下りてレンタカーで渋滞の中を50 km行くことになるが、ワイフと行くとJRに\ 42 k、レンタカーを払って5万円掛かる。これは桜1本を見るだけには耐え難い。ということで八ヶ岳の山小屋を根城に往復8時間 542 kmをワイフと交代でドライブして行ってきた。もし東京からなら名神から東海北陸自動車道の関ICで下りて35 kmである。または大垣から樽見線で1時間である。実は最初地図を見間違えてもっと近いと思っていた。区分地図の上で、名古屋から富山に向けて北上している東海北陸自動車道を中央自動車道と誤解して、八ヶ岳から往復5時間と読んだが、実際は往路だけで4時間半掛かった。出掛けに誤解に気付いたが言わなかったので、ワイフは騙されたと言っている。

 往路は中央自動車道多治見ICで下りて一般道を70 km行ったが、その前半が渋滞して苦労した。後半は町の無さそうな国道418号線に入ったが、車がすれ違える場所が所々にしかない国道だったので計算が外れた。

 駐車場から土産物屋台の並ぶ坂を登ると、巨大な桜の古木があった。無数の松葉杖をついたご老体ながら幹も枝振りも神々しく、若々しい花を開いている。長時間ドライブを損と思わせない感動がそこにはあった。

 淡墨桜の来歴については根尾村の公式Webサイト
     www.alato.ne.jp/neo/public_html/a1.html
に詳しい。また根尾中学校のサイト
     www.ktroad.ne.jp/~neo-jhs/index1/sakura.html
からリンクしている
     gifucam.softopia.pref.gifu.jp/vcc3/vc_neo.html
では、慶応大学の技術で桜のリアルタイム画像が見られる。

 桜の起源に2説ある。一つは豪族根尾氏の墓所に植えられた桜だという説、もう一つは公式起源で、大和の政争を逃れてこの地に隠れ住んだ皇族に王子が生まれ、当地で結婚後乞われて大和に上り継体天皇となった時、形見に植えていったので樹齢1500年だという説である。付近から人骨が多数発掘されたという古老の話も伝わるので前者が本当のように私には思える。なお天皇家の系図を見ると、仁徳天皇の系統が絶え、仁徳天皇の父応神天皇の五世の孫の継体天皇が大伴氏に担がれて越前の国(根尾村から30 km北上すれば福井県)から突如出現しており、別王朝ではないかという学説もある。継体天皇が当地出身というのは本当かも知れない。

 大正初年に太い枝が折れてから樹勢が衰え、戦後枯れそうになった時、昭和23年に保存会が発足し、翌年白蟻の巣になっていた枯れた根を除き、山桜の若根238本を根継ぎし土壌を入れ替えて再生したそうだ。昭和34年の伊勢湾台風で再び樹勢が衰え始めたが、作家宇野千代女史が昭和42年に来てこれを嘆き、翌年グラビア誌「太陽」に一文を掲載すると共に県知事に直訴して支援を引き出したという。平成以降も4度手術したそうだ。

 何度も枯れそうになりながら都度地元に支えられて活力を取り戻してきたようだ。桜の古木が私は好きだ。年老いてなお若さにあふれた花を咲かせる姿が感動的である。私が東芝から東芝情報システムに転出したいと希望した際には、山梨県武川村の古木「神代桜」の影響があった。

 帰路は往路に懲りて関ICから東海北陸自動車道・名神高速道・中央自動車道と大回りして夜遅く八ヶ岳に戻った。夜中の高速道を120 km/hで飛ばしたが3時間半掛かった。これでまた我々夫婦は少し若返ったぞ。 以上