宇多田 ヒカル
宇多田ヒカルのCDを買った。CD店の棚の一等地に藤圭子に目だけ似たやや唇の厚い(娘は父親に似るものだ)写真のジャケットがあるのを毎日横目で見ながら通っていたが、CD売上げが6百万枚の大記録となり、武蔵丸が優勝インタビューで「リズムが日本的でなくていい」と言い出すに至って、これに接していないことに不安を覚えたのである。半世紀年代が異なるとはいえ、BeethovenとMozartが同年代なら私も宇多田ヒカルと同年代であろう。同年代を理解していないことへの不安である。
ジャケットの表は写真だけで文字が一つも無いのも面白い。裏側にFirst Love, Utada Hikaruとあり、11曲(プラス1曲の別アレンジ)の題名が列挙してある。全て彼女自身の作詞作曲である。実際題名は、「甘いワナ」という1曲を除いて全て英語である。
聞いて見る。11曲ほとんど同じと言ってよい。パーカッションが明示的にリズムを刻むから、分かり易く乗りやすい。これは多分彼女自身よりもアレンジャーの仕業に違いない。歌詞は全て英語交じり日本語の散文調で、若い愛を歌う。英語はNew York育ちという彼女らしく本物の生きた英語である。例えば、I feel so good. Time will tell. I'm moving on without you. I just can't control the time. など、外国語として英語を学んだ者にはなかなか言えない表現が出てくる。control the time という哲学的表現も、私だと定冠詞の要不要で悩む所だ。日本人の英語教育に貢献大は間違い無い。It's automaticと絶叫する彼女の"t"の発音は米語の"t"である。日本語の"r"とほぼ同じ舌の位置で発音する。舌の両脇を空けて息を漏らせながら舌を離せば日本語の"r"で、舌の周辺を全面的に上顎に付けて息を止め破裂させれば米語の"t"になる。
一方日本語は極めて平易な、通俗的ですらある口語の散文である。例えば「甘いワナにはまってしまった私 / かなりヤバイ状態になってる」とくる。私が作詞したらどうなるか? 多分七七調で「甘美の罠に沈みし吾は / 危ふき淵に立ち竦みおり」とか言うだろう。これが半世紀と文学の素養の差である。少なくとも「小諸なる古城のほとり」とか「まだ上げそめし前髪の」のように日本語の美しさを追求する詩歌とは対極にある歌詞と言える。但し商業性では彼女が正解であることは論を待たない。
私が偶に作曲などする時は、テーマとなる気に入ったメロディーをAとしてAA'BAという古典的な形式を踏む。最近の作曲は散文調の不定形の歌詞に勝手にメロディーを付けて歌い出し、テーマメロディー(例えばIt's automatic の部分のメロディー)をあちこちにちりばめる。それを誰かが後で譜面に書き下ろすから、譜面でみると滅法複雑な形となる。ドリカムの吉田美和の歌がその典型で、そう言えばどこか似ている。
本題に戻って、彼女のメロディーにはBeetlesや演歌に通じる部品が組み込まれていて、それが年配者に無意識の内に親近感を持たせると分析した人も居る。それかあらずか、私にとっても親しみやすいCDである。長時間ドライブのBGMには元気が出て良いかも知れない。 ジャケットの最終頁には彼女の英語の謝辞があり、面白いからとワイフが英語の教材に持って行った。その一部に次のような下りがある。
Mom, Dad, I guess I'm followin'your footsteps and carryin'on the family business after all. I know few families are lucky enough to have what we have.
Focus 6/9号は、宇多田ヒカルは短距離選手ですぐ潰れるという説を掲げた。今となっては1枚5-6万円のプレミアム価格で取引される無名デビューCD "time will tell"の時、日本の芸能プロに売り込んだが、なぜか藤圭子にも金髪に染めた音楽プロデューサの金髪パパにも日本の芸能プロは一物あるらしくて相手にされず、独自に出したCDが案に相違して大ヒットし彼女には220億円(本当かなあ、1桁以上違う気がする)の収入があったが、芸能プロには一銭も入っていないヤッカミがあり、またテレビにも出さずマスコミとも敵対する金髪パパが業界から総スカンだからだという論拠であった。この業界も難しいらしい。 以上