クリスマス
お父さんは怒っているのだ。民放の身の上相談的な番組によれば、クリスマス・イブは恋人達の放恣が許される夜らしい。頼むからクリスマスを冒涜しないでくれ、世界から見ていい恥さらしだ、と洗礼を受けたキリスト者でもないお父さんは常識人の一人として怒っているのだ。クリスマスは不可思議な行事ではあるが、家族皆で楽しむ機会であり、精神的な高揚を求める時だ。クリスマスの意義を踏まえTPOを間違えないで貰いたい。
砂漠の国イスラエルでのイエス・キリストの生誕を祝うのになぜ樅の木やトナカイが出てくるのか? それには深い訳がある。なお Christmasは英語特有の表現で、勿論Christ Mass(ミサ)の意味である。
イエス・キリストの布教と最後は史実として記録されているが、生誕は歴史学的にはよく分かっていないようだ。歴史に登場するのは布教以降であっても一向に不思議はない。今では生誕はBC7年乃至6年であろうと推定されている。Before ChristにChristが生誕とは面白い。
キリスト教では明解である。マタイ伝の冒頭にはイスラエル歴代の王の系譜があり、イエスの父ヨセフはその末裔なので、イエスは黄金期の王ダビデの子孫だとある。但しまだ聖母マリアと婚約の段階で聖霊によってマリアは身ごもったのでヨセフの子ではない。ルカ伝第1章には処女受胎の詳細が記述されている。ヘブライ語のイザヤ書第7章に「おとめがみごもって」ダビデの末裔の救世主を生むという予言がある。「若い女性」を表わすヘブライ語のAlmaがギリシャ語に翻訳されたときに「処女」になってしまい、ギリシャ語時代に記載された新約聖書ではイエスの正統性を記述するために「ダビデの子孫で処女受胎」と表現されたと歴史学者はいう。ナザレに育ち「ナザレのイエス」と名乗ったイエスの生誕地がベツレヘムというのも、ベツレヘムがダビデ王の本拠地だったからだという。
現在は東方三博士が訪れた日で主顕祭とされている1月6日を、成年のイエスが洗礼を受けた日として祝う習慣が2世紀のエジプトにあった。3世紀半ばからローマ帝国内で12月25日をイエスの生誕日として祝うことが始まり、1月6日を生誕日とする宗派との抗争を経て前者に統一された。エジプト暦で1月6日、ローマ暦で12月25日が冬至だったことから、事の始まりとしての冬至が生誕日としてふさわしく考えられたのであろう。
これに合流して、贈物交換のローマの祭、常緑樹を永遠の生命の象徴とするエジプト・ヘブライの習慣、正月に樹木を飾って悪霊を払うスカンジナビアの習慣などが重なって段々クリスマスらしくなってきた。ドイツでは16世紀に12月24日をアダムとイブの日として祝うようになり、樅の木に林檎を飾って天上の楽園に茂る"Paradise Tree"とした。
4世紀に小アジアの司教だったSt. Nicholasは子供や貧者に贈物をする伝説の人物だ。聖ニコラスの祝日12月6日に贈物をする習慣が北ドイツに生まれ、オランダに伝わり、17世紀に米国New Amsterdam (New York) に伝来してクリスマスに来るSanta Clausとなった。この時のサンタはまだ馬に乗っていたが、米詩人Clement Clarke Mooreが1823年の代表著作 "A visit from St. Nicholas"で、トナカイが曳く橇に乗ったサンタが煙突から入る姿を創造した。中南米諸国が次々に独立する動きの中で米国が米州の盟主として台頭しモンロー主義を宣言した1823年に米国で生まれたという目でサンタクロースを見直すと、確かにアメリカの香がする。
高校時代からNHKラジオのフランス語講座で習った東京大学の前田陽一教授はフランス語特有のRが発音できる希有の人だったが、内村鑑三氏・矢内原忠雄氏の流れを汲む無教会派キリスト教の指導者と知り、その聖書研究会に通った。そこで前田教授から教わった最も重要な点は、「聖書は二千年前の人々に分かり易い表現で書かれています。現代人から見て分かり難い表現もありますが、表現よりも真意を読み取ることが大事なのです。」ということだった。その「真意」だと私が思うのは、「我らに罪を犯す者を我らが許す如く、我らの罪をも許し給え」である。世界の人口の1/3を感化したイエス・キリストの生誕を尊び、米国流に家族の絆を確かめる敬謙なクリスマスでありたいものだ。 以上