2000年問題
今考えると私は中学校で実に素晴らしい英語の先生に恵まれた。我々の中学入学と同時に教壇に初めて立たれ、今年遂に他界された原田先生には、感謝し尽くせないものがある。当時何と"girl"の米語の発音が出来たのだ。子音はともかく母音は5母音以外には無いと思い込んでいた私は、この世のものとも思えぬ実に奇妙な音を発する先生に呆気にとられたのを覚えている。しかしお陰で私も間もなく言えるようになった。今日の英語の先生でもこれは希有のことだと思うので、1948年当時では奇跡に近い出来事だったのだと、今にして思う。その原田先生が西暦の今年はNine- teen fourty-eightと2桁ずつ読み、省略して下2桁Fourty-eightだけでもよいのだと教えた。「皆の中で西暦2000年まで生きられる自信のある人は手を挙げて」と言われた。皆が顔を見合わせて誰も手を挙げないのを確かめてから「だから下2桁だけでも良い」と言うのが先生の作戦だったのだが、案に相違して全員が一斉に元気よく「ハーイ」と手を挙げてしまった。話の腰を折られて苦笑しながら先生は、「じゃ皆で是非2000年には同窓会をやると良いですな。だが普通の神経の人はその自信がない。だから...」と言われた。もう少しの所でその2000年を待たずに先生は逝かれたが、生徒は少数の例外を除いて皆元気に2000年を迎えられそうだ。
コンピュータの世界でも2000年から先のことを考えないで下2桁で処理してしまったプログラムが多く、それらが2000年の到来で一斉に誤動作するぞと脅かされているのがご承知の2000年問題である。メモリが貴重だった1960年代や70年代に、30-40年も使うはずが無いプログラムでメモリを節約したというのなら分かるが、1990年代にそういうマイコンプログラムを組んだ技術者の顔が見たい。岡本行二氏は「俺は4桁にさせた」と言っておられた。中級以下のプログラマは日々日程に追われて、一見仕様通りに動作するプログラムを作ることに汲々としていたのであろうが。
勿論メーカやソフト会社では数年前からこの問題に気付き、納入先に「改修するから予算をとって」とか言ったのだが、当時客先からは冷たくあしらわれた。「2000年になると誤動作するようなプログラムを誰が注文した? 瑕疵はメーカ負担で直すのが当然」と。だからこの問題は容易に客先に持ち出せないテンツバの話題になってしまった。考えて見れば不思議なことではある。瑕疵は瑕疵でも、世界中のメーカが全部失敗してくれたお陰で、有料で対策することが当然のようになってしまった。
さてその2000年がやってくる。何が起こるだろうか? 各社挙げて2000年対策の手は打ったはずである。だがソフトの虫にせよ論理設計ミスにせよ、あるいは原稿の校正でも、1回改修して1/10にしか改善されないというのが私の経験に基づく持論である。世の中のプログラムが何度見直されたか知らないが、多分1/100以下になっているはずはない。ということは膨大な数の2000年問題がまだ残っていると見なければなるまい。
しかしだからと言って水や電池を買い溜める意見には組しない。2000年問題があっても無くてもそもそもコンピュータはいつ止るか分からない代物である。昔或るユーザから毎月コンピュータが故障するとガミガミ叱られたことがある。100台お買い上げの大ユーザだったので、一つ一つのコンピュータは10年に1回の故障でも、100台揃うと毎月になってしまうんだということを、カンカンになったお客さんを更に沸騰させないで理解して頂くことに腐心した思い出がある。コンピュータが止ったら業務が止るような仕組みはシステム設計が悪い。水、電気、ガスなどのライフラインを供給し、飛行機や列車を運行するような大ユーザはそんな馬鹿なシステム設計はしていないだろうという信頼感がある。ただ地震も台風もあるのだから、この機に対策を整えて置こうというのは賢明な策ではある。
だから私は、(1)どんなに対策したつもりのシステムでもほぼ確実に2000年問題は発生する。(2)しかし日常生活への影響は軽微に留まる、と賭けてみた。実は何の買い溜めもしていない。結果的に、生半可な技術屋の思い上がりと馬鹿にされるか、いやさすがにその常識は妥当だったとなるか、あと半月ほどで答えが出る。 以上