うつせみ
2001年 5月26日

             薬師寺東塔

 観光名所を訪れるのは私は好きな方だ。好奇心と「見たぞ」という達成感が好きな理由のようだ。しかし時として感動を覚えるものがある。奈良にはそれが3つある。それは、薬師寺の東塔、法隆寺の百済観音、中宮寺の弥勒菩薩である。二つが人間の形に近い仏像であるのに対して、東塔は感動的な建造物という私にとって真に珍しい存在である。

 そんなことを言ってもイメージが湧かないという方は、Webで索引すれば美しい写真が数十枚もすぐ見付かる。730 AD建立の三重塔で、天平時代の白凰芸術の粋である。698 ADに藤原京(橿原市)に完成した本薬師寺から平城京に移設されたという説もある。973年の火災で寺が灰塵に帰し長らく復興出来なかった薬師寺にあって、東塔だけは何度も修復されたもののオリジナルで残った。下って1981年に元々あった西塔が復興され東西の対となった。二つの塔はほぼ同じ形だが、西塔は創建時の姿を復元する目的で、木材を少しずつ削って修復した東塔より僅かに高く、屋根の反りが若干大きく、上層に元来あった連子窓が復活しており、朱色が美しい。

 三重塔だが屋根は6枚あって6層に見える。通常の3層のそれぞれの下に裳階(もこし)というやや小振りの屋根と漆喰壁があるからだ。その6枚の屋根と漆喰壁の大小関係が極めて美しい。19世紀末の東大教授で米国の美術史家Fenollosaは「Frozen Music 凍れる音楽」と絶賛した。リズムが躍動する音楽を瞬間冷凍で固めるとこうなるという気持ちは分かる。

 実はこの薬師寺東塔の1/75の模型を今組み立てている。模型会社のイマイが作った組み立てキットを通信販売のカタログで見かけ、感動の塔を身近に飾りたくて、前後の見境なく大枚\37.8kで購入した。その後で
   http://st5.yahoo.co.jp/national/
でワインと一緒に\33kで売っているのを見付けた。組み立てキットというからには糊でペタペタ組み立てて行けばよいのだろうと思ったらとんでもなくて、およその材料は切ってあるが三角定規、カッターナイフ、彫刻刀、ピンセット、固定用クランプなどをフル活用して「工作するキット」だった。4月半ばから始めて朝飯前に20分、帰って来て90分、週末に10時間とか少しずつ工作して、やっと一番上の屋根が形を成してきた所だ。あと30時間ほどで完成できそうだ。工数込みだと百万円以上の価値になりそうだ。数えてもいないが恐らく数百点乃至千点の部品を切り出して糊付けする。一寸したProgram Codingが出来る人で、工作が得意な人には一歩一歩の仕上がりが楽しみで、そうでない人は止めた方がいい。本物と同様材料は桧で、削るとプンと芳香がする。全長475mmになるはずだ。

 模型を作っていて美しさの秘密が分かったような気がした。
1.15mほどもある大屋根があり、3m角ほどしかない漆喰壁があり、大小のアクセントが大胆でモダンなデザインである。
2.上から下までのその大小の組み合わせがリズムになっている。
3.小さい漆喰壁が大きい屋根を支える都合上、垂木は二重で、その垂木を支える複雑な木組みがある。構造的な「組物」だがそれが美しい。
4.上の2層に、「組高欄」と呼ばれる展望用縁側のようなものがあり、欄干が美しい。但し東塔の塔身には内部空間はなく、人は上がれない。

 そもそも三重塔や五重塔は、中を貫く心柱の基礎部に仏舎利の容器が収められた釈迦尊の墓標で、偶像崇拝をよしとしなかった日本伝来後の初期の仏教では寺院の崇拝の中心であった。仏像崇拝が進んでから、本尊のおわす金堂が中心となり、塔にも入手難の仏舎利でなく仏像を第1層に置くようになった。テッペンの金属製の部分は相輪と言って、印度で仏舎利を祭ったStupa(「卒塔婆」と伝えられた)の形を継承している。仏舎利を守る日傘から進化した九輪が真ん中にあり、その上に水煙と呼ばれる悪を焼き払う火炎型の透かし彫りがある。東塔の3トンもある相輪の場合は、天女の舞で火炎を表わす。火炎と呼ぶのを嫌って反語で水煙と呼ぶ。芦を「ヨシ」と言うのと同じである。このように塔の上にStupa型の相輪を置く様式は中国で生まれ、仏教と共に日本に伝わったらしい。

 もうすぐ475mmの薬師寺東塔が我が家に完成する。       以上