うつせみ
1996年 6月10日

                 八ケ岳倶楽部

 テレビで「八ケ岳の自然に生きる」とかいう番組を見た。俳優の柳生博氏が八 ケ岳東麓の清里に近い大泉村に居を構え自然と共生している紹介で、 是非行ってみたいと思った。場所に関して番組に二つヒントがあった。
 (1)敷地の奥には西沢の自然が広がっていること、
 (2) 八ケ岳倶楽部の名で一般公開していること、
八ケ岳を鉢巻状に巻く八ケ岳横断道路で清里清泉寮から西にドライブしたことの ある人なら、深く切れ込んだ谷を渡る赤い鉄橋を覚えておられよう。 谷底のかえでが春秋に美しい。これが川俣川東沢である。この 1.5 km西に西沢の同じ く深い谷がある。JR小海線大泉駅の下で両沢を合わせた川俣川は、釜無川、富士川と 名を変えて静岡県に注ぐ。西沢沿いに八ケ岳横断道路から大泉駅に下っている道路沿 いに違いないと見当をつけた。八ケ岳は濃い霧の中で、ヘッドライトをつけた対向車 が30米の距離に近付いてやっと判るほどだった。下界から見れば厚い雲の中である。 八ケ岳倶楽部は予想通りお目当ての道の八ケ岳横断道路に近い位置にあった。どうも レストランらしい。まだ空腹ではないが探検のつもりで昼食をとることとした。

 席に着こうとしたら、隣のテーブルに向こうむきに座っている白髪に見覚えが あった。こちらの気配に振り向いた柳生博氏に会釈してテーブルにつく。柳生氏は出 版社の人と話していた。千円のスパゲッティは美味しかった。レジに本が積んであり、 柳生博著「八ケ岳倶楽部 森と暮らす、森に学ぶ」\1,500であった。もとより興味津々の分野だから早速買うこ とにして、「ところでこれを先生の所にお持ちするとサインして頂けるでしょうか?」 と聞くと、二つ返事のYesが返ってきた。ペンを探して貰っているうちに頁をめくると 、既にサインはしてあることが判ったので、「お名前を先生に書いて頂いては?」と 言われたのを断り、レストランに隣接の雑木林に出た。柳生氏も客人を案内して林に 出た。私達をレストランのマスタが追いかけてきて、「このペンで先生にお名前を書 いて貰って下さい」 と言う。そうまで言われてその気になり、柳生氏を追いかけて名前を書いて貰った。 今朝テレビを見て来ましたと言ったが、「はて?」とご存知ない様子、自分がテレビ に出ていても知らないのは大物の証拠か。雑木林は若葉とサクラソウの花で美しかっ た。

 一角に即売店があり、地元の芸術家を中心に木工、陶芸、金属細工、ガラス工芸 などの大変センスのよい作品が多く、見て回るだけでも楽しい。 そこに入ってきた柳生氏に薦められてワイフは化粧石鹸を買った。柳生氏 は意外に背 の高い(175cmとか)腰の低い穏和な教養人と見えた。柳生氏にそっくりの若い美男子 が即売店のレジに居た。

 翌日通勤電車で本を読み、柳生氏という人物に心服してしまった。柳生家の伝統 で13歳の時毛布と歯ブラシだけ持って1ヶ月は家に戻らぬ旅に出た時、たまたま西沢に 迷い込み、自然の中で自分の小ささを知ったという。後に30代も後半でNHKドラマに恵 まれ人気を得て、チヤホヤされるようになった時、このままでは人間が駄目になると 悟り、自分の小ささを自覚するために西沢の山中に1975年に移住し、森を切り開き木 々を植え小屋を自分で建て共生の環境を作ってきたという。また周辺に移住してきた 人にテラスや橋や石炉を作って上げることを楽しみにしているという。

 本の写真から、レストランのマスタが長男、即売店のレジが次男と判った。小海 線の下に住居が二つあって柳生一家とスタフが住み、仕事場として八ケ岳倶楽部を数 年前に上の方に作ったのだそうだ。

 柳生博氏は東京での仕事が終わるとドーランを落とし、RVに飛び乗ってなぜかバ ロックと山口百恵のCDを聞きながら八ケ岳を目指し、翌日は薪割に草取りに肉体労働 に励むのだそうだ。労働の最中頭では仕事をあれこれ考えて良いアイディアが浮かぶ し決断もつく、東京での仕事の疲れは山での自然を思う事で癒され、仕事と山の生活 が異質なだけに常に他を求め、 両方で積極的になれるのだという。これには私もワイフも大共感である。 ワイフは言 った。「八ケ岳倶楽部はセンスがあって良い雰囲気だから、お友達を是非連れて来な くっちゃ。」             以上