うつせみ 
1998年 4月 5日

            優柔不断

 NHKテレビ日曜夜の大河ドラマはここ十数年皆勤賞ものだが、今年は徳川慶喜を扱っていて、仕組んだなと気付く意図的な面白さがある。最近の放送分では、米国の初代大使ハリスが下田に乗り込んできて、2年も小田原評定の挙げ句ついに開国を勝ち取った。

 笑ってしまた点が2つあろ。一つは日米和親条約の英文は「18ヶ月経過後は何時でも大使を置ける」、漢文は「18ヶ月経過後必要なければ置かない」と書いてあったという下りであった。私にも身に覚えがある。論理式で記載すればこの2つは大して違わないが、文学的には大違いである。契約を承認する立場の人の多くは、契約論や論理式よりも文学を信じる。例えば「価格は1万円とする。但しこの価格が不都合な事態が生じた場合は両社誠意をもって協議し合意によってこの価格を改定する。」といった条文を創作することがある。「1万円」は契約的に意味があるが、後半は文学で契約的にはほとんど意味が無い。こんなことが書いてなくても当事者間の「合意」があれば価格は幾らにでも「改定」できるのは当たり前だからである。論理式では、必ず「1」になる表現は省略してもよい。しかしこの条文の後半の有無で上司のOKが貰えたり貰えなかったりする。

 まして日英両文あるいは英語の契約書では、上司が英文を読むことはまずないから、日本文・翻訳文・抄訳文・稟議書などにどう表現するかが一番重要となる。そこにどう表現するかは意外に自由度の高い部分である。まして幕末のように尊王攘夷か開国か全く相対立して妥協し難く、加えて「戦争になってもよいから拒否して来い」とトップが言って呉れれば折衝の仕方もあるが、手枷足枷で交渉に臨んだ全権にとっては翻訳の筆を舐める位しか方法が無くなる。「蘭学者は居るが英語はよく分からなかった」という言い訳も傑作である。これほど極端ではないが私も類似の経験があるだけに、ふと笑ってしまった次第である。

 もう一つ笑ったのは、幕府の家老が当初誰も決定的な態度をとることが出来ず、従って交渉を延ばしに延ばしたことである。今もって日本政府はものを決めることが出来ないと世界から見られている。政府がだらしないという非難は実は天ツバで、じゃお前はどうなんだと言われれば日本人の多くはやはり決められない性格を持っている。

 井伊大老が朝廷の意向を無視してまで日米修好通商条約に調印した。最近も橋本首相が米国のイラク武力行使容認を公にした。内容の賛否は別として決断は立派である。但し「こうしなければ更に悪くなったので、やむを得ず」という言い訳が出来るまでは決断せず、従って遅れた。

 日本人の優柔不断には二つの原因がある。一つには決断の権限が明確でなくかつ分散処理的なことである。開国の権限は朝廷か幕府かが明確でなかった。欧米流では王様の権限すらMagna Chartaで規定する。契約締結の権限は事業部長か契約担当部門か。日本では関係者全員がOKしなければ駄目である。どうせ全員合意で決めるなら権限の明確化は不要である。

 第2の原因は、決断者が決断の結果に対して責任をとる仕組みが弱いことである。課長が「この契約を締結させて欲しい。万一うまく行かなかった場合は退職する。うまく行ったら部長にしてくれるんでしょうな」と言えば日本でも相当言い分が通るはずである。米国では言わずともそれが当然と考えられているから、周囲の人も当事者の決断を尊重する。

 日本人はコンセンサスを大事にし、独断専行を嫌う。だから課員の総意に反して課長は決定出来ない。課員の総意が2つに割れた時は結論を延ばすのが上策である。A部長やB先輩がそれぞれ生半可な理解で言う勝手な意見が相矛盾する場合は、忠ならんと欲すれば孝ならず進退極まる。こういう場面の対処は実は長年の経験で積み上げられた貴重なノウハウがある。それが貴重なノウハウとは日本の会社に居る間は気付かず当然と思っていたが、米国の会社に勤めてみると彼我の実力の差は歴然である。考えてみたらそういうノウハウを取得するのに最も適した理想的な環境に私は40年近くも居て、鍛えに鍛えて来たのだから、そんな機会に滅多に恵まれない米人と比較するのはフェアではないか。  以上