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− 夫婦別姓 −
そもそも姓とは何?
2001年1月13日
「アウンサン将軍の娘アウンサン・スーチー女史のアウンサンってえのは、姓じゃないんだそうだ」
「インドネシアの大統領だったスカルノ氏のスカルノは苗字ではない」
「ナポレオンは皇帝になったとき、姓が無くなった」
「姓は正しくは氏(うじ)と言うのです」
「姓は天皇がその家来に賜る物である」
「明治になって国民すべてが姓を持つことになったが、これは全国民が天皇の直系の家来(臣民)になったという意味です」
姓は天皇制に深く結びついた代物である。このことを忘れたまま、「夫婦同姓だ」「いや別姓だ」と議論することは危険だ。
苗字を持つことを許されたというと、国民の権利が拡大したと理解する人が居るかもしれない。
しかし実は、天皇への忠誠を誓うという義務を確認する結果となっているのだ。
苗字を持つ→→天皇への忠誠→→国民皆兵→→他国への侵略
という一本道がそこには有った。
夫婦別姓という主張の主旨は「個の確立」であると思う。その意義は大いに分かる。
しかし、夫婦別姓の主張には、「姓」というものの持つ本質的な危うさを忘れてはいまいかとの心配がある。
特に、最近の皇国史観の巻き返しを思うと「姓を前提とした」議論は肝心なことを忘れたものとなる危惧があり黙っておれない。
だから私は敢えて主張する。
「姓をなくそう」 と。
「姓をなくす」というと、鈴木一朗はただ「一朗」にしなければならないと心配する人がいるかもしれないので念のために一言。今まで「姓は鈴木、名は一朗だったのを、「姓はナシ、名は鈴木一朗」
とすればそれでよい(勿論ただ 「一朗」 とするのも悪くない)。結婚で姓を変えるなどの概念そのものが無く、子供の名前は与作だろうがマリリンモンローだろうが自由自在である。
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