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− 今日の読書 −
トーマス・ゴールド著
「未知なる地底高熱生物圏−生命起源説をぬりかえる」
丸武志訳 2000年、大月書店
2001年1月13日
「最初の生命は渚で生まれた」という説が嘘っぽいことは明らかだった。極めて単純な生命から始まって、30億年以上の進化の頂点に人類があるという考えを信じるならば、最初の生命が生まれた環境は人類の生存環境から最も遠い所にあると考えるのが自然である。渚では余りにも人類に身近すぎる。
そこからすると、深海底の熱水噴出孔が生命誕生の場だとのアイデアは遥かに受け入れ易いが、そのような特殊で限定された場所がその現場だというのはあまり魅力的ではない。その場所からその後の生命系統樹へのつながりも希薄な印象がする。
生命発祥の地はそのさらに下の地底であって欲しいというのが、私の単純な思いつきであった。地底で生命が生まれた。それはマントルの流れに乗って水平に移動し、火山の噴火などにより垂直に移動して、地表や深海へ現れた。地底では現在も無機的に生命が生み出され続けているかもしれない。何と魅力に満ちた考えであろうか。
トーマス・ゴールドは20年も前から地底高熱生物圏のアイデアを提唱していたという。それは単なる思いつきではなく、石油・石炭・天然ガスの探査データから必然的に導き出したものだという。地底深くには、地球創世以来大量の炭化水素が埋蔵している証拠があるという。それはメタン、エタン、ペンタンなどを主成分とするものであり、地底から地表に向けて絶えず流出している。流出の途中で変成し、石油や石炭に変わるものもある。金・銀・鉄などの金属を錯体として溶かし込みながら上昇し、ある所でこれを析出させて鉱山を形成することもある。ある条件下で、高分子を形成し、自触媒作用を持つ分子が出現した可能性も十分にある。地底という高温高圧の環境はこのような反応を起こすのには絶好の条件を提供する。
もちろん、まだ地底で生命が出現した直接的な証拠はない。地底の生物の研究もまだ始まったばかりだ。5キロメートルの深さでも1500気圧で摂氏120度という環境である。そのような環境を地上で実現し、培養実験する試みはまだ行われていない。今後の研究を待たねばならない。
一方、この考えをもとにすれば、地球外の惑星や衛星でも生命が発見できる可能性がある。火星の地下に生命がある可能性は高く、既に火星起源の隕石にその証拠があるとの報告もある。
トーマス・ゴールドによれば、石油・石炭・天然ガスは「化石燃料」ではない。しかも実質的に無尽蔵である。
しかし、だからといって無制限に使って良いものではない。資源の枯渇の心配は要らないかもしれないが、環境は間違い無く悪化する。
トーマス・ゴールドによれば、地底には地表を凌ぐ生物圏が存在する。
地表の生命は地底の生命の分家である。
まさに母なる大地である。
トーマス・ゴールドによれば、他の惑星にも地底生物圏が存在する。
地球だけが特別なのではない。生命は至る所にある。
トーマス・ゴールドによれば、科学の定説はしばしば根拠が希薄である。
科学者だって思ったほど優秀なわけではない。思い違い、早とちりも結構多い。
さて生物とはなんだろうか。オパーリンが言うように外界から区画された「細胞」が不可欠なのであろうか。それとも自触媒作用を持つ分子は既に生命なのであろうか。地底生物圏では生物と無生物の境界が今よりももっと議論になると予想する。何しろ想像を絶する高圧の世界である。地上の世界の常識がどこまで通用するか、トーマス・ゴールド以上に柔軟で大胆な思考力をもたないと、目の前にある現実を見失うことになりかねない。リン・マーギュリスの細胞内共生のもっと大規模なことがもっとダイナミックに地底生物圏では行われているのではないだろうか。或いは種という概念がそこでは意味をなさないかもしれない。
文字どおり我々の足元から、我々の常識が崩れていくのかもしれないのだ。
夢多き地底、熱き地底である。
昨年、日本では「アーキアン・パーク」計画がスタートした。海底の熱水噴出孔のさらに地下に広がる生物圏を調査して、生命の起源に迫ろうという試みである。期待したい。
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