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− 人権はいらない −
1997年5月14日
日本国憲法は、主権在民、基本的人権の尊重、恒久平和主義を3本柱としている。
この人間尊重の精神は、近代の諸国憲法の一つの大きな流れであるが、
中でも日本国憲法はその理念の高さを特筆すべきものと評価されている。
しかし、私はこの人間尊重の精神に真っ向から異議を唱えるものである。
端的に言えば、
「なぜにひとり人類だけが尊重されねばならないのか?」
という疑問である。
人類も、犬や猫、ミミズやアメンボー、アメーバや大腸菌、蔦や楓
と同様の生き物の一種にすぎないのに、
人類の繁栄のために他の生物を利用し尽くすことに何の疑問を抱いていないのはなぜだろうか。
私はしかし、ここで動物愛護や環境保護、生態系の保護を訴えようというのではない。
世にいうこれらの運動は他への慈悲を唱えているように見えながら、
実のところは私たち人類の幸せがそれによって確保されるとの考えが見て取れるのだ。
いずれにしろ人類の身勝手が底流にあることには何ら違いがない。
生物の世界を眺めてみれば、弱肉強食であったり、共生関係があったりするが、
これを全て生物相互の依存関係と捉えることができる。
或いは調節作用であるとも考えることができる。
一つの個体が生れるには、それなりの条件が必要である。
地球の収容力が有限であるとすれば、
一つの個体が生れるためには他の一つの個体が死ななければならない道理である。
私たちが生き続けるということは、別の命の出現の機会を奪っていることになるのだ。
基本的人権の最大のものである生存権とは、
所詮今生きているものが自らの既得権を勝手に主張しているに過ぎないものだ。
これから生れようとするものの権利をこれによって奪って良いものであろうか。
人類も他の生物と同じ土俵に立って、生死を委ねるべきではないか。
人類だけを特別のものとして、特権を主張すべきものではないのではないか。
人権だけを擁護しようとする日本国憲法は、何と不平等で、手前勝手なものではないか。
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