1984年1月12日 読売新聞「木曜ロビー」:「れる」の使用について会社員 立松幹雄 31
意識の変革につれ変わっていく言葉
先月23日付の田村容子さんと今月4日の槙山綾子さんの「れる」多用に対する意見に反論したい。お二人の主張は、五段活用以外の活用の動詞に「受け身・尊敬・自発・可能」の意味を持たせる時は「られる」で受けるべきなのに、昨今「可能」に限り五段活用の動詞と同様に「れる」で受ける例が多く、これは学校文法、あるいは標準語の常識に反している、ということだと思う。
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1996年1月25日 東京新聞「発言」会社員 立松幹雄 45
『見れる』表現なぜ違和感?
例えば「見る」という動詞に自発・受け身・尊敬・可能の意味を付加する場合に「見られる」とすべきところをしばしば「見れる」という表現が見られる。
(横浜市戸塚区)
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「見る、着る」のような上一段活用、「捨てる」のような下一段活用は、活用と言いながら「一段」というのはおかしい。これらは「ラ変」というべきではないか。すなわち、