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− 差別語 −

「差別語」は言葉に対する差別だ!

1997年12月14日
 
 差別語というものが実在するなら、勿論その使用を控える考えに賛同する。しかし、犬畜生、けだもの、化け物、糞などを他人を罵る言葉として使う人がそれを言っているなら私はその人の言葉を信用しない。これらの言葉は引き合いに出された犬その他に対する差別感が前提にあると考えられるからだ。犬その他は人間と違って非常に寛大だからこれに一々抗議したりしないが、抗議が無ければ良いなどというのは勝手過ぎる態度だ。
 いわゆる「差別語」を、全く差別感無しに使えるようになる状況が、早く来ると良いと私は思う。
 そう言うと、「その言葉を聞いたときに気持ちが傷つく人が一人もいなくなったらね」と優しく言ってくれる人がいるが、それはまた別次元の問題だ。そうやって問題を避ける態度は状況を少しも改善しないからだ。問題にしなければならないのは差別する態度であり、言葉に込められた差別感だ。言葉の言い換えをした所で状況を変えなければ、いずれ言い換えられた言葉と差別意識とが直結しまた別の言い換えを考えなければならなくなる。
 ある言葉に差別語というレッテルを貼り、使用を禁止するなどという処置は、そもそもその言葉に対する差別そのものではありませんか。


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