自分にはこの状況、或いはこの出来事には対処できない、自分にはコントロールできないという経験を誰もが持っています。或いは、誰かの為すがままにならねばならないという状況です。
しかし、それは事実ではなく、そのように解釈してしまったというだけです。本当は、誰も自分以外の人に意志の力を与えてしまう事はできないのです。
妥協するという事も本当はありません。譲歩するというのも本当の意味ではありません。
譲歩したという幻想の中に踏み込んだというだけです。
例えば、ある女性が恋に落ちて、相手の男性が世界中で一番素敵な人だと思ってしまったとします。
そして、その男性に私はあなたの言うとおりにしますと言います。でも、その男の人が最終的につまらない人だと分かったとたんに、その思いは冷めてしまいます。
それは、意志の力をその人にあげて、後からそれを取り戻したのではなく、意志の力を与えてしまったという幻想の中に踏み込んでいただけです。
また、男性がある会社に勤めて、その会社の社長が暴君のようだとします。すると、その男性は、その社長に意志を渡してしまったと感じるかも知れませんが、それは、感じているだけです。
一つに表面意識があり、そして潜在意識があります。
原始の意識は、潜在意識の一部です。
そして、そのほかに二つのレベルの意識があります。
一つは、外的意識(Exstra Conscious)。外側にあるのは複雑な要素ですがこれを「エゴ」と呼びます。
物理学が発展する途上に、ニュートン物理学というものがありました。それは、全ての物質は分離した個体であると言う認識を持つ物理学でした。
ニュートン物理学ができてから20年以上経ってできた量子力学では、分離はどこにも存在しないと言う事が分かりました。
全てのものは常に動き続けています。それぞれ違う波動を持って動いています。
私達は、椅子よりも早い波動で動いています。私達よりも音とか光とかの波動の方がもっと早いのです。しかし、椅子もエネルギーでできています。
人は、自分は自分であって、自分は椅子ではないと確信していますが、この理論では椅子と自分はつながっています。他の人と人とがつながっているのと同じようにつながっています。
五感は、表面意識にありますが、五感では、このつながっていると言う事を認識する事はできないのです。外側にあるエゴという外的意識の中で、つながりを認識できます。意識の中でも見えない漠然としたものです。
エゴをオーラという形でみる人もいます。しかし、オーラにもたくさんの層があり、エゴはその中の一つの層に過ぎません。感情帯というものに相当します。
このエゴの部分が私達全てを結び付けている網のようなものであり、この部分で我々はつながっています。エゴが私達を全ての人、全てのものとつなげています。地球上にあるものだけでなく、他の惑星、他の世界ともつながっています。
私達は多次元的存在ですから、他の次元ともつながっています。
エゴは、集合無意識、宇宙意識と自分をつなげているものでもあります。エゴがないと我々は孤独で分離した存在になってしまいます。
私達のコミュニケーションの93%が言葉以外のものであると言われています。私達は言葉を越えたたくさんのやり方でコミュニケーションをとっています。外からくる情報はエゴという外的意識を通って入ってきます。
エゴは内面の意識と同じ様な性質は持っていません。エゴには、意志の力もなく、論理もなく、プログラミングもありません。
エゴが持っている力は、吸収と反射だけです。
外側からやってくるものを吸収し、それを自分の内面に向かって反射するだけです。
天気予報を例にとると、気象衛星が大気から色々な情報を取り入れて、地上基地に送ります。そして、今現在送られてきた情報と、今までに蓄積した情報を分析して予報を出します。
エゴは、外側からのたくさんの情報を常に受け入れ吸収し反射し続けています。その情報を受け取った我々は、意志の力、論理の力、理性の力、知性の力を使って何らかの決定を下します。
エゴと言うのは、私達と外的世界との接点です。
精神世界的な言い方をすると、エゴは第六感に相当します。
例えば、誰かの事を思っていると、いきなりその人から電話がかかってきたりとか、突然玄関に現れたりします。
それはなぜかと言うと外的意識のレベルでその人と既にコミュニケートしていたのです。でも、科学的な意味からして外的意識があるのをどうやって知る事ができるかと言うと、次のようです。
ある場所に入ると、嫌な感じがしたり、居心地がよいと感じたりするのは、人間の五感の何を使って感じるのでしょうか。視覚や、触覚等の五感以外の何かです。最終的にその場所に留まるか離れるかを決めるのは、内的な意識の力によるものです。エゴが、その場所の波動等を教えてくれるのです。
子供は、実在しない想像上の友達と遊んでいる事がよくあります。これは、国を問わずあります。生まれたばかりの子供は、心は水晶のように澄んでいます。そういう子供は外的な意識があるという事を知覚できます。
この外的意識は3次元に留まっていないので、他の次元からのものを呼び込む事ができます。だから、よその次元から呼び込んだり、知覚できたりしたものを「お友達」と呼ぶ事があります。
外的意識は、初め友達と感じられるかも知ませんが、最後は敵になります。これについては、後で説明します。