K.都立浅間山公園
人見四郎の墓跡
府中市
浅間山公園の前山に黒いモニュメント
「人見四郎の墓跡」がある。
碑には、
「ここは鎌倉時代末期から南北朝時代
にかけて活躍した武士人見四郎の墓跡と伝えられる
平成二年三月 府中市教育委員会」
と記されている。
標高80mの浅間山からは、人見が原合戦場
を一望に見渡すことができる。正平7年(1352年)に、新田義興・義宗らが
足利尊氏と人見が原・金井原一帯で合戦した。この時代、活躍したのが「人見四郎」
である。
人見氏は、埼玉県大里郡を本拠とする武蔵7党の内の猪俣党の人見氏と云われ
、浅間山の麓に一族が来ていたとされる。
近くには、旧村名「人見村」があり、「人見街道」は府中から「人見村」、三鷹等
を経由して大宮まで行く。
Last Update 1999/09/10(1998/10/20)
府中市
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