『間瀬平一郎』伝記

Last Update 1999/08/12(1997/11/03)

1.幼少時代ー栴檀は双葉より芳し

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 明治36年9月9日愛知県知多郡東浦村(現東浦町)森岡に出生。幼少時代より豪胆にして任侠、負け嫌いであり、 正義のためには敢然と闘う気概を持っていた。

 その頃森岡と隣村緒川の中間を流れる岡田川をはさんで相対峙しては石合戦をやったものであるが、この時きまって 森岡側の先頭に立って、縦横無尽に奮戦した。

 兄弟の中でも特別に気が強く、腕白ではあるが、しかし才気があった。 父は「平一郎は、うまく行けば相当なものになるし、まかり違えば始末のつかぬ不良になる虞れがある。余程 気をつけて育てなければならぬ。」といつも口癖のように言っていた。

 それでも彼は当時すでに学業優等、頭脳明晰の聞こえが高かった。たとえ何かに失敗してもクヨクヨすることなく、 自分の信ずるままに突進する性質であった。競争心と研究心の強いこと、常に自分より勝れたるものを目標として 勉強したこと、ただ単に先生の教えられるままでなく、自ら研究工夫することを怠らなかった。


幸一少年のこと

 生涯を通じて親しかった二人の間にはエピソードがあった。 ある日「今日の午後学校が退けたら、村木神社へ行って花火遊びをしよう。素晴らしいのが出来たから。」と固く約束 をした。ところが幸一少年は母からの用事で遂に行くことが出来なかった。 翌日「約束を守らぬものと今後交際するのはいやだ。」と言われた純真な幸一少年は、昨日の約束を破った理由を 話してこれを詫び、今後約束を守ることを固く誓って、以前にも増して親しくなった。

「内に顧みて久しからずば何をか憂え何をか恐れんや」

これ彼が一生を通じて一貫した信条である。




間瀬平一郎伝記

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