上の絵は昭和8年から12年にかけて、全国を三機編隊で特殊飛行を行った際の、 「三羽烏」の間瀬平一郎、青木与、源田実の三機を想定したものです。
源田実著書によれば、「源田サーカス」とは 昭和7年ころ編み出された 編隊特殊飛行、今でいう「アクロバット・編隊飛行チーム」と解釈されます。
昭和7年、背面錐揉みの実験に小林淑人が成功して、初めて背面宙返りを 行いました。
その後、間瀬平一郎、青木与の二人が列機として三機編隊の巴宙返り、 編隊宙返り等のアクロバットを完成し、当時の新聞で「三羽烏」「空中サーカス」 等の名で呼ばれました。
昭和8年、源田実(戦後参議院議員で航空幕僚長となる)が、間瀬平一郎、 青木与の二人と共に特殊編隊飛行を受け継ぎました。当時は、報国号と呼ばれる 献納機が多かった。これらの飛行機の献納式は、各地で盛大に行われましたが、 そのたびごとに、三機編隊のアクロバットを行いました。
この報国号献納と編隊アクロバットがよく結びついて、いわゆる「空中サーカス」 「源田サーカス」の名が喧伝されたものと云われています。
今日の航空自衛隊は、権威化されたアクロバット・チームを持って妙技を 展開しています。
「源田サーカス」はまさに元祖アクロバット飛行隊であったのです。