Last Update 1999/02/24
村木神社
村木神社が歴史の舞台に登場するのは、天文23年(1554年)1月24日 織田信長がここに本陣を置き、村木砦において今川義元軍を破った戦いである。 これを「村木砦の戦い」と呼び、若き織田信長を飛躍させた重要な戦いの 一つである。
森岡には村木と呼ばれた古くから天王社があった。これが今の村木神社である。 天王山(おてんのさん)を背後(西)にした神聖な場所である。 天王山は、現在森岡小学校が建てられ昔の面影は残っていない。
村木神社由緒によると・・・
古くからこの地には建速須佐男命(たけはやすさのおのみこと)を祭神とする 津島社(天王社)があった。創建の年は不明であるが延徳3年社殿再建の棟札 がある。
現在の森岡保育園地内にあった八幡社は永禄4年(1561)に緒川城主 水野信元の代官清水家重が創建した社であったが、学校用地に供するため、 大正2年津島社に合祀し社名を村木神社と改めた。
この時、源太夫社・白山社・妙見社・村神社・山之神2社も合祀した。
他に、秋葉社・山之神社・御岳神社が境内に祀られている。
(東浦町教育委員会資料より)
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