於大の方

徳川家康の生母 於大の方 伝通院

Last Update 1999/08/12(1998/11/03)

亀城公園(刈谷城址)

亀城公園


 亀城公園は、旧刈谷城の本丸と2の丸の一部にあたる。刈谷城は天文2年 (1533年)下野守右衛門太夫忠政の築城で、亀城とも呼ばれ、徳川家康の生母 「於大の方」の育った城である。

 廃藩後、一時国の所有となった刈谷城は旧士族に払い下げられ、昭和11年 (1936年)には刈谷町がこれを譲り受けた。昭和16年(1946年) 太平洋戦争が勃発、戦争末期には城跡の高台が高射砲陣地となり、うっそうとして いた大木も切り払われ、荒れ果てた姿となった。

しかし、戦後しだいに整備が進められ、昭和44年に至り、当時愛知教育大学 教授であった大野元三氏の構想により、高台一帯を日本庭園に造成し、 その後も度重なる整備により、現在の亀城公園となった。

現在は桜の名所として知られ、四季おりおりの花も美しく、小鳥のさえずりも 聞こえる由緒ある公園である。(亀城公園案内板より)

 中学生のころ、写生の適所としてたびたびここを訪れた。 境川を隔てた反対側にある東浦町からは歩いて20分位で行く ことができる。また、高校時代は3年間、近くの市原街道を毎日 自転車で通学した。城下町の趣がいまだに残るまち、それが刈谷市 である。




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