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扉 | |
目 次
山内義雄 共和国戦死者に捧ぐる歌 (ポオル・クロオデル) 菱山修三 未知なるものへの祈り (ジユウル・シユペルヴイエル) 淀野隆三 ものみな黄昏初める時 (レオン−ポオル・フアルグ) 堀口大学 A・O・バルナブウトの詩篇より (ヴアルリイ・ラルボオ) 井上究一郎 火 (フランシス・ジヤム) 堀辰雄 生けるものと死せるものと (ノワイユ伯爵夫人) 青柳瑞穂 マルドロオルの歌 (ロオトレアモン) 花島克巳 節度 (ポオル・ヴエルレエヌ) 鈴木信太郎 綺語詩篇 (ステフアヌ・マラルメ) 高村光太郎 午後の時 (エミイル・ヱ゛ルハアラン) あとがき |
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本書は前集にひきつづき、殆んど同一の趣旨の下に編まれた。 格別系統立つたフランス近代詩の紹介ではないが、前集の欠を補ひ、一のささやかな展望を与へ得たであらう。 のみならず、当代の我が邦詩歌にいささか寄与するところがあらうと信じる。 … 訳詩の仕事も亦決して容易な業ではない。 しかもそれはただ一人の詩家ただ一人の学匠によつて果し得るやうな仕事では決してない。 幸、ここに強烈な個性を持つた詩家にして学匠たる諸家の協力を得た。 読者には意を安んじて いはゞこの交響楽に耳傾けて頂けると信じる。 …
本文の一部紹介 |
午 後 の 時 エミイル・ヱ゛ルハアラン 高村光太郎 訳
十四
われらが同じ思に生きてゐてもう十五年。
われらの明るい美しい熱気は習慣に勝つた、
あのどす声の魔女、がさつなしぶとい手で
最も頑固な最も強い愛をも磨滅させるあの魔女に。
私はあなたを見て、毎日あなたを発見する、
あなたのやさしさもあなたの矜持の念もよく知るところであるけれど。
時は、たしかに、あなたの美の眼を暗くする、
けれど黄金の底を半ば開くあなたの心を激動させる。
あなたは他意なくおのれを深めしめる、
あなたの魂は、常に新鮮に新規に見える。
いきり立つ土耳古船のやうに、檣柱に光を浴びて、
われらの幸福はわれらの慾情の海をかけめぐる。
われらのうちにのみわれらの信は
赤裸の率直さと単純な善良さとに錨をおろす。
われらは喜ばしい透きとほつた信頼の
光明の中に動き又生きる。
あなたの力は限りなく清純微妙のもの、
心を火にして、あらゆる陰翳の道を横ぎり、
黎明のあらゆる光をあなたの童心に、
濃霧やくらやみの中でも、なくさずに来た。
十五
永遠にわれらの喜は麻痺したと思つた、
夜にならぬ間に光あせた太陽のやうに。
鉛の腕で、病が
私をその倦怠の椅子の方へ無作法に引き寄せた日。
花と庭とは私にとつて恐怖でなければ欺瞞であつた。
私の眼は白昼の燃えさかるのを見て痛んだ。
私の両手は、私の手さへ、もうあまり疲れて
われらのゆらめく幸福を捉へてゐられないかと見えた。
私の慾望は悪い草木に過ぎなかつた。
風に吹かれる薊のやうに其等同志が噛み合つた。
私は自分の心が凍ると一緒に焦げるのを感じた、
又たちまち荒み果てて容赦しにくいものに見えた。
しかしあなたは唯やさしい慰めの言葉を私に語つた、
大きな愛の中より外には求めもせずに。
私はあなたの言葉の火と共に生き、
それで自分を暖めた、夜、日の出るまで。
小さな人間と私は自分を感じたが、
私自身や人皆にとつてはさもあれ、あなたにとつてはさうでなかつた。
あなたは窓のへりから私に花を摘んでくれた、
私は健康の事を信じた、あなたの信の故に。
又あなたは着物のあひだの中に入れて、持つて来た、
野原と森との快活な空気を、風を、
又夕暮れの薫や暁の匂を、
又太陽を、あなたの底知れぬ爽かな接吻の中に。
十六
われらのまはりに生きる一切のもの、
甘やかなほのかな光を浴びるもの、
花車な花、やさしい小枝、立葵、
それをかすめる陰とそれを実らす風、
うたうたひ飛びかはし、
気違じみて群り立つさま、
日の中の
宝石の房のやうな鳥、
此の美しい真紅の花園に生きる一切のものが、
心おきなく、われらを愛する。
又われらも
その一切のものを愛する。
われらは百合花の育つのを讃めたたへ、
また天底( よりもあかるいのつぽの向日葵が)
― 火の花びらで囲まれたあの円が ―
その鋭気を見せて、われらの魂を灼くのをも。
いちばん質素な花、フロックスやリラが
壁に沿つて、パリエテエルの間に、
われらの歩みに近寄らうとして、生ひひろがり、
思ひもかけぬ草が、
われらの通つて来た芝の中に、
その露にぬれた眼をあけてゐる。
われらはかくて花や草と共に、
単純に清浄に、熱烈に又奮激して生き、
その叢が黄金の中に溺れるやうに、われらの愛の中に溺れ
心高らかに、猛然たる夏をして
その満溢の光明で穿たしめ貫かしめる、
われらの肉体を、われらの心を、又われらの二つの意志を。
十七
私の感覚、私の心、私の頭脳、
私の全存在を炬火のやうに、
絶えず飽く事なき
あなたの善良とあなたの慈( みとに捧げて、)
あなたを愛し、あなたを称へ、又あなたに感謝する、
或日、あんなに無邪気に、
献身の道をふんで、
その恵ある手の中に、私の生活を取りに来たのを。
その日以来、
私は知る、おう、どんな愛が
露のやうに純潔に明るいどんな愛が
私の静になつた魂の上にあなたから灑いだかを。
私はあなたのものと思へて来る、その口火に炎をよぶ
あらゆる熱火の絆( によつて。)
私の全心身は
疲れる事なき飛躍を以て、あなたに向ふ。
私は長い間止めども無く、
あなたの深い誠とあなたの魅力との思出に耽る。
われ知らず、私の眼には、むしろたのしく、
忘れかねた涙が一ぱいにたまる。
私はいそいそと心を集めて、あなたに近づく、
あなたにとつて最も確かな喜であり又未来にもさうである者で
永久にありたいといふ思ひ切つた慾望を抱いて。
すべてのわれらの愛念はわれらをめぐつて輝き、
すべての私の存在の反響はあなたの叫に答へる。
かけがへの無い又荘厳な忘我の時である、
私の指はふるへ、あなたの額をやつと撫でる、
あなたの思念の翼にでも触るかのやう。
十八
爽かな静かな健康の日日、
その時生活は占領したもののやうに美しく、
善い為事が私の傍に座を占めて、
まるで招待した友達のやう。
彼は温和な晴れやかな国から来る、
その露よりも清らかな言葉に、
われらの感情とわれらの思想とを、
さんぜんと、ちりばめるため。
彼は気まぐれな渦巻の中に実相を捉へる。
彼は巨大な柱石の上に、精神を建てる。
彼は星宿を生かしめる火をそれにそそぐ。
彼は瞬時に神となる技能を齎す。
気違じみた激越も深刻な苦悩も
一切が彼の悲壮な意志に役立つ。
世界の脈管の中に、
美の血液を一新させようとする意志に。
私は彼の思のまま、喜んで餌食となるもの。
かくて、私はたとひ疲れて鈍くならうと、
あなたの愛の休み場に、
私の豊かな此上無い思想の火を携へて帰る時、
私には思へる ― おう、束の間 ―
とどろく胸に包んで、私はあなたに齎すのだと、
宇宙そのものの心臓の鼓動を。
十九
私は眠の林から出て来た。
その錯落たる枝や陰の下に、
喜ばしい朝の太陽から遠く、
あなたを置いて来たので少し気が沈む。
もうフロックスや立葵がかがやいてゐる。
私は庭をやつて来る、
光を浴びて、鳴りひびく
水晶と銀との清朗な詩の事を考へながら。
たちまち、私はあなたの方へ立ち帰る。
あなたの喜とあなたの起床とを促すため、
鬱蒼として重くるしい眠の陰を
私の思が、はるかに、即時、
もう突き破つたやうな気がして
ひどく勇み感激しながら。
陰と沈黙とのまだ領する
ほのかに温い家の中のあなたの処へ来ると、
私のかけかまひの無い接吻、私の朗らかな接吻が、
朝の曲のやうに、あなたの肉体の渓谷に鳴りひびく。
二十
ああ、病の鉛が、
どんよりして重い血と共に、
日毎に更にどんよりして更に重い
私の血と共に、
私の麻痺した脈管の中を走つた時。
私の眼が、私のあはれな眼が、
私の蒼い手の上に、
陰険な病気の
致命的な極印を、いらいらと、偵察した時。
私の皮膚が樹の皮のやうに乾き、
燃える口をあなたの胸に押しつけて、
われらの幸福に、其処で、接吻する その力すらなかつた時。
陰鬱な同じやうな日日が
私の生活を気むづかしさで悩ました時、
私は決して自ら従容として立つ意志と
力とを見出だし得なかつたであらう。
若しあなたが私の日毎のからだに注いでくれなかつたら、
あなたの辛抱づよい、やさしい、物静かな手で、
あんなに長い幾週間の時間毎に、
あなたの身うちに流れる隠れた雄雄しさを。
二十一
明るい庭こそ健康そのもの。
彼は、明るさの中に、それをまきちらす、
その千万の手の往つたり来たりに、
樹の頭の又みどり葉の。
又好い木陰は、長い道の後に、
われらの歩みを
招じ入れ、
われらの疲れた手足に、
かろやかなやさしい力を注ぐ、
その苔のやうな。
池や風や太陽と戯れる時、
まつかな心臓が
水の奥に住んでゐて
血気に若く、波と共に脈うつやう。
又突き出た水仙菖( とさかんな薔薇とは、)
華麗の装ひにゆらめき、
その元気な茎の一端に
黄金と赤い血との盃をさし出す。
明るい庭こそ健康そのもの。
二十二
六月であつた、庭での事、
われらの時間又われらの日であつた。
われらの眼は、あんな愛を以て、
万物を見た、
さればやさしく心をひらいて
われらを見われらを愛するかと見えた、
薔薇の花も。
空は曾てなかつたほど澄んでゐた。
昆虫や鳥は
絹のやうにほのかな空気の
黄金の中又歓喜の中を飛んでゐた。
さうしてわれらの接吻の美しさに
光も鳥も昂奮した。
語り出でた幸福はたちまち藍碧の色をして
空いちめんを輝かしめるものであつた。
全生命が、優しい隙間から、
われらの存在を貫いた、それを成長せしめる為。
それは訴の叫に外ならなかつた、
又思ひ切つた飛躍に又祈願に又誓に、
又たちまち神神の再生を望むことに、 信じたさから。
二十三
身を捧げるだけでは足らず、あなたは自身を濫費する、
あなたを駆つて、常に、もつと強く愛し合はうとさせる衝動は
休まず疲れず、躍り又躍る、
満ち溢れた愛の大空さして更に高くと。
一の握手、やさしい一瞥もあなたを激せしめる。
あなたの心情の美がかばかり立ちどころに目に映るので、
時として、私はあなたの眼とあなたの唇を恐れる。
私が其に値しなくはないか又あなたが私を愛し過ぎはせぬかと。
ああ、このあまり高い愛念の明るい熱情よ、
その過( るのを知つて唯涙に融けるにしては、)
悔恨にぬれそぼち、誤謬になやむ
あはれな心しか持たない此のあはれな人間よ。
二十四
おうもの一つ動かぬ静かな夏の庭よ。
明るいぴかりとする池の
まんなか近くの、あの
火の舌に似た
金魚のほかは。
あれこそわれらの思出の遊ぶすがた、静かな
落ちついた又すき通つた
われらの思念の中に ― ちやうどこの安らかにやすらふ
水のやうな。
やがて水はきらめき魚はをどる、
だしぬけなすばらしい日の光に。
程近い緑のあやめ白い貝殻、
又石はゆるぎも為ない、
まつかな水際のあたり。
忽ち消える悔みの外の悔みを、
底から水面( へ、おびき出す、)
些かの恐もなく懸念もなく、
ただそれに軽く触れる
爽かなもの壮麗なものの中を
かくも徂徠する彼等を見るなつかしさよ。
終