らんだむ書籍館 |
![]() |
表紙 |
目 次
序章 物語の梗概 構想と主題 とりどりの女性 作者の像 執筆の時期 さまざまの享受 正しい普及のために 原文 味わい 終りに あとがき |
本文の一部紹介 |
執筆の時期
★ むかしから 異説がたくさんあるのですがね。 それが近代になると、学問的な考証をぬきにした想像説もむやみに出てきて ちょっと困るのです。 その中で、例の江戸時代の研究家であった安藤為章(萬治2(1659)〜享保 元(1716))は、夫に死に別れてから三、四年間の寡居生活中に書き、宮仕までには大半が完成して、一般にもひろがっていたと説いた(「紫家七論」)。 これは いかにもうなずける説で、後の学者も 多くうけついだのですが、しかし、その後、あれだけの大作は、三四年ではとてもかけないだろう。 特に毛筆で仮名をかくのでは、今日ペンで書くようにはゆくまいなどの うたがいや思いやりが出てきて、宮仕の後数年あるいは十数年もかかってかいたろうという説がでてきた。 中にはていねいな人がいて、五十四帖を原稿用紙の枚数に換算し、一日平均三枚かくとしても、一年に千枚、病気もあれば用事もあるから、その半分としておこう、そうすると一年に五百枚だから、完成したのはいついつの頃だろうなどと論じたりしている。 よけいなおせっかいだと 作者はあの世で笑っているかも知れない。 一方、内容の上から考えた説には、一応 尤(もっと)もだと考えられるものもあって、その根本は、源氏物語には作家の成長があるというのです。 つまり 紫式部は 源氏物語をかいているうちに、人生観照にも叙述のしかたにも 非常な成長を示した。 これは 執筆中に何か重要な事件なり時期なりを経過している証拠だし、執筆の期間が相当に長いことを意味している、というわけなのです。 源氏をよくよむと 若菜以後は、書いてある事がらも、実際に宮廷生活をしなければ書けそうにないこともあるし、社会的な関心も多く加わってきている。 これは 作者が宮仕を体験してから執筆したことを 明かに物語るものだ、というわけです。
しかし どうでしょうかね、紫式部ほどの人が、長篇小説をかくのに、一日一枚平均の原稿かかけなかっただろうか。 学術論文なら別だが 一一 それにしても 一旦 想が成って、いざ筆をとったとなれば 相当の量は書ける。 ぼくのような凡物でも、そんな気がする。 そして これは天才の創作だ。 興味のわくままに主題を定め、構想を立てて筆を走らしたものだ。 草仮名は ぼくたちにはむつかしくても、あの時代の人はあれが普通だったのだ。 それに 宮仕の仕事は相当に多忙で、寡居の間のようにはゆかない。 そんな勝手なことができるなら、何のためにやとわれた女房かといいたい。 仕事があればこその宮仕なのだ。 宮仕の間に 体系だった小説などがかけようとは思われない。 ああしたおちつかない生活では、筆をとるににしても、見聞した事実の記録か、それに対する感想ぐらいとみる方がほんとうだろう。 伝説にも 石山寺にこもって筆を執ったとある。 局生活をしていて書けるとは思えぬ。 枕草子を見ても分ることだ。 「紫式部日記」は、この作家のやむにやまれぬ創作欲が、宮仕によって中断され、その結果 自然とあのような随筆形態に転じたのではないか。 長篇作家としての紫式部は、結婚前、二十歳ごろから源氏物語を構想し、二十二歳ごろの結婚につづき、さらに夫に死別した二十四歳ごろから 新たな熱意をもって執筆をすすめ、二十八歳前後宮仕に至るまでの七八年間に、これを完了したとみた方が、現実の問題として正しいのではないか。 勿論 その間にも 作者は折にふれて修正も行ったろうし、浄書のようなこともしたにちがいない。 そういうことは 宮仕の間にも十分できることなのだから。 また、十一二歳で結婚した平安朝貴族の精神年齢は、今日の常識では律しえない。 たしかに十年のひらきがある。
以上は 外面的にみて 宮仕以後までのばす説に反対するわけなのですが、問題は更に内容の方面にある。 宮仕の後までのばそうとする説は、若菜の巻以前と以後とでは構想がちがうし、人物の性格なども同一でないというのだが、しかし この前後の関係は、対照の相違というよりも、むしろ源氏物語全篇の構図が、どんなに複雑に、かつ巧みに立てられているかということを、如実に示すものではないか。 さき程 構想についてくわしく説明しましたが、若菜以後、それから宇治十帖、これは決してその前の部分の後日談として語られているのではない。 作者は はじめから非常な野心と情熱をもって、主題をたて、その漠たる予定の下に、筆を進めて、徐ろにこれを具体化していった。 つまり 源氏物語は執筆の刹那に、漠然としながら全体が構想化されたもので、少しずつ無方針に書きついでいったというようなものではない。 人物の配置にしても、事件の発展にしても、およそ五百人の人を動かし、四代八十年の長期間を扱いながら、少しも前後の矛盾を示さない。 いくら記憶がよいといっても、もし十数年もかかっていたら 一一 ぼくのような男は、太平洋戦争の時のことをもう忘れかけているのだが 一一 はじめの方はぼんやりしてしまうかも知れぬし、大体 作者の興味がそんなに長くはつづくまいと思う。 「八犬伝」や 「大菩薩峠」などは、よほど特別なものだ。 そんな作品でも、主題は一貫していたと思う。
それに 紫式部という人は、あれだけ恵まれた才能をもっている。 源氏の文章にも どこといって渋滞のあとがない。 興味がわけば、長篇の主流の中に、わざわざ短篇的な巻々までかいて挿入するなど、なかなか味なことをやってのける。 未亡人としてのかなしみは、これまでつづけてきた源氏物語完成のために 大きな力となったに相違ない。 成長ということは、「宮仕」を経なければ認められぬという理由はない。 その前に完成したとしても、みじかすぎはしないと思う。 «以下略»
終