ニンマ派
ニンマ派の法統は、ティソン・デツェン王に招聘された、インドの行者、パドマサンバヴァ(蓮花生大師)にさかのぼる。当時のチベットでは、仏教の浸透を妨げる土着の神々がおり、調伏によって神々を仏教の守護神にすることが求められていた。八一七年にチベットに入ったパドマサンバヴァは、チベット最古の大寺院、サムイェ寺の創建に尽力した。
ニンマ派の大きな特徴は、古い時代に翻訳された経典に依拠している点、呪術に傾倒している点、多数の埋蔵経典があるという点、中国禅や土着のボン教の影響を受けている点などが挙げられる。それらは新訳の経典に依拠しているゲルク派などから、批判的にとらえられている。ニンマ派には光線に乗って旅したり、空に舞い上がったり、死者をよみがえらせるなど、にわかに信じがたい行法があるという。呪術の重視はボン教との競合の過程で、習合が起こったと考えてよい。また埋蔵経典は、未熟な弟子に法を曲げられぬために、将来のふさわしい時期に発掘されることを期して、パドマサンバヴァが地中や洞窟に隠した物、と伝えられているが、これらは天啓を受けた後世の行者による創作ではないか、という批判がされている。ユングの紹介で有名になった『チベットの死者の書』も、そうした埋蔵経典の一つである。
ニンマ派は仏教を九乗に分けて考える。「声聞乗」「縁覚乗」「菩薩乗」は小乗および大乗の経典に依拠した「顕教」である。次の「外タントラ」は三乗に分けられる。「クリヤー乗」は正しい行いや言葉と体の浄化、および基本的な視覚化の瞑想を行う。「ウパ乗」は行者が瞑想する神々と合一するため、自身の内外の能力を養うことを目的とする。「ヨーガ乗」は内なる精神物理学的な活力を強化することを目指す。次の「内タントラ」も三乗に分けられる。「マハーヨーガ乗」は聖なるヴィジョンを通して、通常の知覚や執着を消滅させる。「アヌヨーガ乗」は原初の知覚を実現することを目指す。「アティヨーガ乗」は「ゾクチェン(大究竟)」と呼ばれ、ニンマ派が他の宗派に優越している、という主張の論拠となっている。そこでは通常の時間や活動、経験などの一切は超越されているという。それは言葉を越えた世界なので、弟子自身が直接的に悟らなければならない。そこには禅の境地に似たものが感じられる。中国本土では帽子の色から、一般に「紅教」と呼ばれている。
ニンマ派については、先に述べた『チベットの死者の書』の他に、中沢新一氏の『虹の階梯』などがある。後者はゾクチェンの教えを、いち早く日本に紹介した著作であり、また頭頂から魂を離脱させる「転識(ポア)」についても言及されている。